note


以前noteに書いてたときは、だいぶ外向きの意識が働いてたし、
自分で今読み返してもあんまり入ってこない文章が多いと思う。

 

そういう外向きで、肝心な内側に触れられないというのがあったんで、
いったんnoteはやめてはてなブログに引っ込んだような形だった。
(もう2年以上前。。 )

 


今、外向きの顔と内側をわける必要性を当時ほどは感じなくなってきたと感じる。
(まだまだあるんだろうけど)

 

ちょっとはてなに引っ込んでいることに違和感を感じ始めたので、
よりオープンな感覚のするnoteで、また書くことにしてみる。

 

https://note.com/phonio

 

 

 

 

 

 

1秒間の全託


まさこさんの回の勉強会でのりこさんが言っていたこと。

期間限定でもいいから神に全託する。(言葉は違うと思う)

 

 

自分の場合は1秒からしかできんと感じる。

1秒間、神に全託する。

 

1秒間神に全託するつもりでおると、

全託していない「オレ」が際立って、

そんなオレに付随した、あらゆる苦しい感情を封じ込めとるのも感じられてくる。

 

こんなんより全託したほうがよっぽどラクじゃ、

と、少しだとしても感じられてくる。

 

ありがたい。

 

1秒間、全力で全託することから始める。

 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように。

私たちの天命がまっとうされますように。

守護霊さま、ありがとうございます。

守護神さま、ありがとうございます。

 

みこころのままになされますように。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

祈りのなかで、気合と気迫


あすかちゃんに声かけてもらってzoomしてありがたかった。

自分の口から出たことは自分が聞く必要があることじゃった。

そうじゃのう。

岡田さんに言われたこと全部も、

オレが今この瞬間、何を感じとるかに深く触れていくためだけにある。(そして何を信じとるかも)

今感じとるものをそのままありのまま浮上させるのをゆるすための気合と気迫。

そういうわけで久しぶりに自分で準備ワークと平安ツールやってみたけど、よかった。


今、そういうことも、世界平和の祈りのなかで、
五井先生にたすけを求めながら、
この深い怒りも悲しみも絶望も、
消えてゆくすがたでありますようにと祈りながらできるのが、
ありがたいです。🙏🙏🙏

 

 

 

光であるあんたが怖い!😱😱😱😱😱

 

ちょうどなんか映画DUNEを見る感じになって、アマプラで購入した。

その気分というのは、なんかこの全宇宙を二分してたたかっとるような、そんな感じの気持ち。意味わからんけど。


見よるとき、エバがこの宇宙を二分してたたかうライバルのようなイメージが湧いてきて、

こえーこえー!!やばい、エバ怖い!!

ってなっていって、

そのあと、

いや実はエバがこの宇宙全体の光みたいなものなんじゃ、

恐れを超えて直視したらそれがほんまじゃって見えてくるんじゃ、

じゃけえほんまは彼女は怖い敵じゃなくて宇宙全体の光そのものなんじゃ、

という感じになっていった。


「ひとりの人間がそういう宇宙全体の光のあらわれじゃなんて、
そんなんありえるんかよ!!!」

みたいにびっくりして否定したい部分があったけど、

いやもしかしたら、

このエバだけじゃなく、どんな個人も、そのように見えるのがほんまなんかもしれん、、、

ってなっていった。


なんや、オレは夢を見とるんじゃろうか。


岡田さんにいちばん痛いところをはっきり言ってもらってから(前回のブログ)、

なんかいい意味で?壊れてきとるような、おかしくなってきとる。

 

 

生ゴミ


全員を外見でジャッジしとる、っていう前の記事を書き終わった直後、

自分が欲望をもっとる対象である数多くの「若く美しい女性たち」の声を代表する方からのメッセージをもらった。

 

「無理」

「これでよくモテようとか思ってんな」

「ゴミ」

生ゴミ

「犯罪者レベルに気持ち悪い」

 

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痛みもあったけど、

正直、はっきり言ってもらえてめっちゃありがたさを感じた。

 

オレが世界に向けとるジャッジ(人を外見でジャッジしてゴミのように見とる)を、

ちゃんとそのまま映し返してくれたように感じる。

はっきりわかるように。

 

 

これで、ひとつの偽りの希望の思考から自由になれる。

投影や「賜物ゲット」の方向ではなく、

こころでほんまに感じとること、信じとることに向いていくことができる。

祈りに向いていくことができる。

そんなように感じた。

 

 

 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように。

私たちの天命がまっとうされますように。

守護霊さま、ありがとうございます。

守護神さま、ありがとうございます。

 

「無理」

「よくこれでモテようとか思ってんな」

「ゴミ」

生ゴミ

「犯罪者レベルに気持ち悪い」

 

f:id:phonio2013:20220104164818j:plain

 

みこころのままになされますように。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消え去りますように。


全員を外見でジャッジして勝ちたい。

それによってエバにも勝ちたいし、勝っとるつもりでおった。

でも負けとった。(それを認めたくない、受け入れたくない)


いちばんつながりを感じれないオレ。

真のつながりみたいなのをエバを始めみんなは感じれても、
オレは感じれない。

全員を外見でジャッジして勝とうとしとるだけやから。

一番進捗が遅れとるんじゃないか。

 

 


今日の勉強会でも、

エバがリトリート参加者のなかでいちばん腹がすわっとった」と。

 

そのときは負けて悔しい、が上がってきた。

オレはあんだけマインドをフルに与えるとか言っときながら、
それでも負けとるんか。


(でも一瞬、
こういう「今のオレできとる」みたいな、

よくありがちな自分の中の声を、

もう信じんでもええんか、、それは信じるに値せんやつなんか、、

というちょっとホッとした感じも感じた。


それは五井先生の祈りに絶えず浸されてるおかげのように感じた。

「できとるオレ」でおらんといけん、みたいなイメージを頼りにせんでもええんじゃ、みたいな。)

 

 

 

「マインドをフルに与える」とかも、オレの獲得物にしとった。

絶えず五井先生に祈れるようになったオレ、も。

五井先生の祈りを祈るときに感じる力さえも「オレのもの」みたいにとらえようとしとる。

 

 

がんじがらめにして圧縮した抑圧した、毛糸玉自己概念。

それをほどこうとしていく過程でも、

そのプロセスの進行を止めるために、

随所でいろんなオレ概念をつかむ。

 

 

 

五井先生の講話を聞いとったら、

「消えてゆく姿じゃ言うて祈ってても、自分が間違っとることを認めて、消えていくことを望まんと消えてはいかんよ」

みたいなことを言っとった。

オレはそれを望んどるんじゃろうか。

 

 


リトリートも、

「全員を外見とか進み具合とかでジャッジして勝たんといけんオレ(勝っとるつもりのオレ)」、

そういう自己概念をもってそれを維持しようとしたまま完走したんだな。


自己概念を維持しようとしてうわついとった。

たしかに全然腹はすわっとらんかったんじゃな、と今は感じる。

 

たしかにエバのほうが全然腹がすわっとった。

しかもリトリートが終わったあとになってまで、それを暴きに来てくれたし。

 

 

 


なんというか、

これまでの真我なるハートでの自分の立場についての概念みたいなもの
(わりとよくできてるヤツ・・とか)、

のりこさんからの扱い
(わりといつも好意的にとらえてもらえると感じる)

みたいなものは、


これまでオレがここまで歩めるように助けになるものだったから
そういう幻想をみせてもらったってだけで、

ここからは先はそういうのはもう終わりなんじゃという感じがする。


なにしろ、
全員を外見でジャッジしとって繋がりを感じれんような状態のヤツなんじゃけ。

そこから始めるしかない。

 

 


リトリートが終わって教えられたのは、

自分がこれまで1mmたりとも前に進んでなかったこと、だった。

(ある程度前に進んだと思っとったから、気持ち的には後退した気分)

 

 

こんな現状で、

たとえいちいち自己概念つかむとしても(五井先生すら横領しようとしながら)、

盲目的に祈るしやることがない。

 

 


今日の勉強会でのりこさんが最後に言っとったこと。

「幻想を超えたところをみせてあげたい」(みたいなこと)。

 

オレはこの幻想(全員を外見や進捗でジャッジして勝たんといけん孤独な分離した世界)を超える気があるんじゃろうか。

 

 

 

祈りのなかに消え去りたいというのはある。

 

 

五井先生の講話を聞いとったら、

世界人類が平和でありますように」という言葉は、

全員がひとつであり、その完全な幸せを願っとる「神さまの思い」だけに同調するために

そういう言葉になっとるんじゃ、みたいなことを言っとった。

 

 

そのなかに消え去りたいというのはある。

 

 

「神さまの思い」ではないものすべてが浮上して、

消え去りますように。

 

そのために、

この幻想(全員を外見や進捗でジャッジして勝たんといけん孤独な分離した世界)を見とる奥で、何を感じ、何を信じとるんか。

それも浮上しますように。

 

ありがとうございます。

 

 

 

マインドをフルに与えること、与える先、その目的。


仕事を目の前に置いて、こころがそっちに向かわんな、、と感じながら、

こころの使い方を完全に変える必要がでてきたのかな、、と感じている。

 

リトリート前に強く感じてたように、


「マインドをフルに【スピリットから来ているもの、ファンクション、ガイダンス】に与える」

というところから始めないと、にっちもさっちもいかんようじゃ。

安全地帯という限界を突破して、
分離した肉体というアイデンティティから解放されるためには。

 

 

(↓リトリート前)

welcomejwithintention.hatenablog.com

 

 

俺がこの仕事をやるんじゃない。
俺がするのは、マインドをフルに【スピリットからきているもの】に与えるっていうことだけか。

(「ごいせんせーーーーい!!!!!」と叫びたくなる)

 

 


リトリートが終わって、ファンクションの波がやんで、

「自分の」仕事が始まったように感じていたけど、

変わりはないんだ。

 

リトリート関連のファンクションがなくても、

同じくスピリットから来ているもの(ガイダンスやインスピレーション)に、
完全にフルにマインドを与えることができるし、

そうせんと逆に苦しくなるんちゃう?っていう感じ。

そうせんとこの分離した肉体というアイデンティティは突破できん。

 


しばらくそこからこころが離れていたけど、

やっぱこうするしかないという感じ。

ありがとうです。

 

 

具体的に今後どんな仕事との付き合い方、仕事のやり方になっていくのかはまったくわからんけど、

このことを決断しとく(「マインドをフルに(スピリットから来ているもの、ファンクション、ガイダンス)に与える」ことからすべて始める。限界を突破して分離した肉体というアイデンティティから解放されるために。)

というのはいい感じがする。

 

その決断のもとに、目の前にある「仕事」をスピリットにすべてまるごと与える。

慣れんけど、そのほうがなんかワクワクするな、と感じる瞬間がある。

 

目の前の仕事も、

分離した肉体というアイデンティティを突破するためにスピリットに使ってもらえるんじゃとしたら、

なんかワクワクする。

 

具体的にどうやるんかはまったくわからんけど。

 

 

 

(追記)

「マインドをフルに【スピリットから来るもの】に与える」

ことについて。

 

リトリート前はおぼろげな言葉によるイメージでしかなかったけど、

リトリートのあの書道のときに、

スピリット的な触感(時間がなくて、完全無欠な何か)に触れさせてもらえてたんだ!!

と思い出した。

 

 

つーことは、

「スピリットにマインドを与える」っていうのは、

あの時間のない、完全無欠な何か的なやつにマインドを与えるってことなんか。。。

 

まずは自分の考えはすべて脇において、

マインドをフルにあそこに与えて、そこから何が展開していくのかを見ていく(仕事にしても何にしても)(自分ではまったく想像もできない)、、ということなのか。

 

あの具体的に触れさせてもらえた感覚が残っていて、

ああ、あそこに、あの世界に、マインドを与えていくのか、

と、より具体的な力のようなものを伴って感じられるのが、ありがたい。