今日のレッスン133をやっていて感じたこと。
これまでずっと、価値のないものへ投資してきて、それをまちがいだと認めたくなくて、投資しつづけている、空虚なものへ希望を見出そうとし続けている、というのがある。
分離した個別の身体や金銭、購入するもの、世間からの名誉や地位などが、ほんとうに「無」だったと認めたくないだけ。
無価値なものに投資し続けてきたのだと、認めたくないだけ。
この「投資」した分を、なんとか回収しないことにはやってられない、という感じ。
その「投資分の回収」をもとめて毎日生きているみたいな。
でもその投資先は「無」であり、「非実在」だったと。