ジョーブログ

youtuberのジョーブログの本を読んだ。
彼は瞬間瞬間のうちなる導き=純粋なやりたいこと
にしたがって、いろんなことをしまくっている。

自由に、情熱に従って何でもやって瞬間瞬間を充実したものにしている彼にたいして、
「行動で何をやるかは意味がないよね」という頭だけで批判するジャッジがあって、
コースがしめいしている「こたえ」こそ価値のあるものだと、
それが何かもわかっていない(経験していない)のに、ただジャッジして分離させるためにそれを使っている部分があるのに気づいた。

本をよんでいるうちに、こういうジャッジをしていたんだなーということが見えてきて、
さらに彼にくらべるといろんないらない概念を無意識にもってそれに縛られていることも見えてきた。

彼は「目の前のことに集中できるように、ベタな欲望はあえて捨てる」というようなことを言っている。
ベタな欲望、たとえばいい家に住みたいとか、月収〇〇万円以上ないとイヤだとか、かわいい彼女がほしいとか。
無意識に「これがあればまわりから評価されるだろうな」というようにチェックなしで抱え続けているような「ベタな欲望」をたくさん抱えていたことに気づかせてもらえた。

自分はかたちの上で家をすてて自由になったような気になっていたけど、
なんと未だにこんな多くのベタな欲望にしばれてていたことに気付かされた。

そして、たしかに意識してそれらのベタな欲望を手放してもいいや、と手放してみると、
純粋に目の前のことに集中できる。
これってこのまえの映像でフランシスがいってたことともつながるし。
救いは未来にも過去にもない。この瞬間以外にそれを選ぶことはできない。

すべてのベタな欲望をすてて、この瞬間にひらかれていくと、スピリットの導きの声もよく聞こえるようになるのかもしれない。