どうしようもない

帰国の飛行機のシートに座ると、正面に沖縄観光の宣伝広告が。
その広告の、おしゃれな若い女性たちのオシャレな写真の数々が、これでもか!と目に飛び込んでくる。


こころがざわつく。


ここでも自己概念Bと自己概念Cをつくりだしてきとるなー!!
とこれまでの人生をふりかえる。

 

いわゆるリア充
おしゃれしてたのしく人生を満喫する男女(自己概念C)と、
そんなふうに楽しめる能力のないオレ(自己概念B)。


あいつらにも自分自身にも罪を投影しながら、憎しみを醸成して苦しんでいる。

 

ほんっとーーーにどうしようもないな。

 

このどうしようもなさをどうしようもないまま横目でみながら、飛行機のなかでもテキストをがんがん読み進めているうちに、
なんとなく
「こんなどうしようもない自分でも、こんなにも聖霊とかイエスとかがサポート?しようとしてくれているなんて、実はほんっとーに彼らはわたしを?愛してくれてるんじゃないかな・・」
という感覚がでてきた。


がんばって「うまくやれる自分」「ただしい自分」にならなくても、
このどうしようもない状態のままでも全面的にサポートして愛してくれているんじゃ?

 

そう感じられてくると、なんか力が抜けてラクになる感じがしてきた。

 

香咲さんが本のなかで、香咲さんがはじめて聖霊の声をきいたときのことについて書かれていたのを思い出す。


香咲さんが聖霊に「なぜ来てくださったのですか?」
とたずねると、


「あなたがどうしようもないからですよ笑」


やさしいほほえみとともにこんなこたえが帰ってきて、
「救われた」(「救いあげられた」だったかな)と感じたんだそう。

 

聖霊のこたえがもし


「あなたががんばっているからですよ」


だったら、
「もっとがんばろうとして、救われなかった」と書かれていた。(そんな内容だった気がする・・)

 

そうなんやなー。

 

神と聖霊を招き入れて、聖霊といっしょにこのどうしようもない知覚内容をみることができれば、自分で訂正したり正しくあろうとしたりがんばったりしなくても、すでに大丈夫でオールオッケーなんだと受け入れられてくるのかもしれない。