狂ったものと聖霊

ずっと頭を地につけてひれ伏しているイメージをみている。
そんななかで、どんどんひどい攻撃する思考がでてくる。
ひれ伏したイメージをみていると、その攻撃思考が描き出す世界や自分や他者、ひっくるめたものが、
わたしとは関係ない、とうっすら感じられる。
これが何なのか、教えてください、と聖霊と一緒に見る。
からだを武器にして、あらゆる武器で武装して、他人の生き血を吸い出しながら生きながらえようとしている。
自分がひれ伏していると、その得体のしれない攻撃に満ちた存在と聖霊だけがのこるかんじがして、「闇が光のもとにもっていかれると自然に消え去る」、ということが起こるような気がする。
ひれ伏すと攻撃性=自我が噴き出してくるけど、自我に同一化しててんやわんやして闇を隠したがるはずのわたしがひれ伏したままなら、それが「自我を聖霊のもとにもっていく」ことになるような。