「探しなさい、だがみつけてはならない」
先日のズームシェア会では、
午前中のセックスの話とか、午後の「特別にしておきたい」「秘め事にしておきたい」という話をききながら、
自分がいかに対女性関係をある意味「神聖」視して、偶像化して、神のかわりのこの世の救いとして大事にとっておいているのか、
そしてそこにある罪・罪悪感をみないようにしているのかに気づかせてもらえました。
Rいさん、聖霊のみなさん、ありがとうございます。
「神の代わりとしての救い(=まだ見ぬ完璧な対女性関係)がこの世界にある」
→この世界に希望をもって、「何かする」「トライする」ということを続けていける。
でも、「それ(=まだ見ぬ完璧な対女性関係)は罪深い自分にとって決して手に入れられないもの」という根深い信念によって手に入れられないものになっている。
ここに深すぎる葛藤があるし、
「決して手に入れられない」という信念によって、それが本当は何なのか直視できないように守られている。
直視すると、神のかわりでも救いでもなんでもないことがバレるから?
そんなシステムにみえる。
これみていくと、何かとてつもないものが暴かれるような、そんな予感がしています。