覚悟

「神は愛であり、その愛のなかでわたしはゆるします」
って気軽に言ってるけど、
これが意味することがわかってなかったよな!?

神の愛を受け入れる、ということが何を意味するのか。

今のこの分離を信じているわたしのところに、
神が愛を降り注いでくれるとか、そんなわけじゃないんじゃん。

なんでかって、
質問15のとこで明らかにしてもらってるとおり、
「分離した自己と、完全なる一体性である神は両立しえない」んだよ。

なので、神の愛を受け入れること、= 分離した個としての自分をすっかりあきらめるってことなんだ。

分離したと信じてる自己が神の愛を知ることができるなんてありえないんだ。

そういう覚悟でこの言葉を言ってなかったよね。

神の愛を受け入れること、
=分離した個という信念と、そこから生じさせた存在論的・根源的な罪悪感と、それを直視できないがために世界ということにしてみているその中にあるたくさんの「罪悪」や「犯罪性」、それらをすべてあきらめることを意味してるんだよ。

そのうえで、
「神は愛であり、その愛のなかでわたしはゆるします」
と言うんだよ。


「あなたがとがめる相手はあなた自身だけであり、あなたがゆるす相手もあなた自身だけである」

そういうことやねんで。