フランシスの動画から

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フランシスの動画から。

えりこさんが訳してくださった1本目の動画から、何か強烈なものをいただいた。


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「プライベートソートがある」という幻想を信じていることをしっかりみて、
ホーリースピリットにその無価値さ、無存在性をおしえてもらう。

コースの教えの生きた証人になること。
生きることの中にこそ、幸福がある。学んだり語ったりすることではなく。

コースの言葉は美しいが、それと経験することはまったく別。

ただ、「この瞬間」のガイダンスにこころをそそぐ。
エネルギーのすべてを、「あなたの意思はなんですか?」と尋ねることに注ぐ。

「もし私が今日、自分でなにひとつ決断しないとするとしたら、あなたが私にやってほしいこと、あなたの決断は何ですか?」

「どうやって?」を心配する必要はない。それは与えられるから。
「なにを?」だけをたずねればいい。

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これがきっかけで、他のフランシスの動画もみたくなった。

それで見始めた2本がまた強烈で。

過去にわたしがつくってきたと信じている多くの過ち、やばすぎて直視することもできないと思っている大きすぎる過ち、無意識にずーんと抱えざるをえないと信じ込んでいるこれらの重大な過ち・・・

「それらについて、あなたに責任はいっさいありません。」って。

ええっ!!???そうなの????

となった。

「あなたに責任があるのは、今この瞬間に与えられている訂正を受け入れることだけです」

・・・!!!!

え・・・そういうこと・・か・・・


「あなたがつくってきたものについて、あなたに責任はない」
「あなたの責任は、今この瞬間に与えられている訂正を受け入れることだけ」
この2つのことが入ってきたとき、なにか強烈にやばい感じがした。

死んでも大丈夫というか、死はないことがバレるというか、
死を見ないために、分離した自分を生きながらえさせるための「自分の」計画に一生懸命目を向けてきたけど、それをやめて死と思っていたものに直面せざるを得なくなるというか。

 


これまで、「わたしがつくってきた(はずの)この世界」を私の肩に追わせて、それを罪としてきたのだ・・な、、。
そしてその必要はないのだな。。

なにかこの2つが入ってくるまでは、
「自分でつくってしまったこの世界。それを4分裂を自分でもどって、自分でなんとかして聖霊にささげて取り消してもらう必要がある。どんどん自分で『過去』にもどっていって、それをやっていく必要がある。そうすれば『いつか』、聖霊がたすけてくれて、すくわれるかもしれない」
と信じていたことに気がついた。

そしてそれを重荷としてとらえ、自分が背負うべき罪のように感じてしまっていた。


「あなたがつくってきたものについて、あなたに責任はない」
「あなたの責任は、今この瞬間に与えられている訂正を受け入れることだけ」

この2つを本当に受け入れると、本当に「自分の計画」によるのではなく、この瞬間のガイダンスのみにしたがうという生き方になってしまうというヤバさを感じた。

「自分の計画」というのは、「過去にこれだけのものをつくってしまった罪ある私が救われるために、私がこれからやっていくべきこと」と考えているものでしかない。

その「自分がつくってしまったと思っているあらゆるすべて」について、あなたにそれをどーこーする責任はありませんよ、といわれてしまうと、この世界で生きてきた生き方そのものの前提がなくなってしまう?ような。

「罪ほろぼしをしながら、すこしずつよりよい自分になっていく」
ということをやってきたんだな、そしてそれはまったくナッシングだったと。

 

そんな私の計画にもとづいた「私は何をすればいいんだろう?」(あるいは「私は何もしなくてもいいんだろうか」)という問いかけそのものをやめること。

自分で作ってしまったと思っている過ちを、自分の力でどうにしていくことで、いつか救われる自分になっていこう、という文脈での「私は何をすればいいんだろう?」という問いかけをやめる。

そこは私の責任ではない。

今この瞬間にすでに与えられている、すべてのあやまちの訂正を受け入れるだけ。

それ以外にわたしの責任はない。


それを受け入れ始めたとき、なにか、ほんとうに自分は神?なるものに愛されているんじゃないか・・という予感みたいなのが入ってきた。

自分でどんな重大なひどい過ちを犯してしまったと信じ込んだとしても、その瞬間に完全な救いを与えてくださっていたのか・・と。その「重大な過ち」について、自分でなにひとつ罪を負うことも責任を負うこともしなくていいのか・・と。


それを本当に受け入れて、それを生きることが、証人になるということ・・


自分で自分を救おうとする自分の計画をやめる。

それは分離が自分の責任においておこったことを前提としているので、
それについて思考をめぐらせばめぐらせるほど、分離の信念を強化することになる。

あー、ヤバイ。

 

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