秘行2.0

最近またミユさんの秘行があらためてすごいなと感じられてきている。

「秘行」をやってると、
なにか、この世界に知覚している攻撃性のすべては、
この個人の肉体としてのではない「わたし」が映し出していることを、見通すことなんだ、
と感じられてきた。

なにかスムーズにいっていない関係をもっている「相手」、自分が何か不満を感じている「相手」、そんな「相手」の視点に徹底的にたって、(この「相手」は自分の想像のなかの「相手」なのだけど)、
その「相手」から自分はどう見えるのかを見てみる。

(私のイメージの中の)彼らの立場からすると、私はどういうふうにみえてるか。
たとえば(私のイメージの中の)彼らは攻撃性を象徴していて、彼らは攻撃を正当化していることになっているので、彼らから見たわたしのなかにその同じ攻撃性をみている、とわたしは見ている。

そしてどちらが勝つか?
われわれは勝たなくてはいけないという世界のなかでどちらも生きているようにみえたりする。

このすべてがわたしがつくった世界のなかにあるのが感じられてくる。


すると、自分がやっていることがバレバレになるというか、
この「わたし」というカマトトぶった人格のなかに、激しい攻撃性が隠されているのをみてとるようなことが起こってくる。

JACIMの質問99のところ。
この世界のどこかに攻撃性を知覚している限り、
それはもともと私が仕掛けた攻撃以外にありえない。

(わたしが勝手に描いている)「相手」の視点からわたしを含むすべてをみてみると、
攻撃し、攻撃を正当化するためにこの宇宙すべてをつくってるんじゃないかとすら感じられてくる。

そしてこのカマトトぶった人格をみとおし、その奥に見ないことにしていた、この宇宙をでっちあげるレベルの攻撃性をみとおす。

秘行というのはこれをやってるんじゃないかと思えてきた。


そして究極的には聖霊といっしょにみるなかで、それらの攻撃性が存在しえないものだということが経験されていくことになるんだろうか。