ハゲと神

最近の意識の変化のなかで、
ハゲていく体の捉え方も違ってとらえられる瞬間があったりしていた。
が、今日はまたハゲの恐れがまとわりついてきた。
明らかに進行している、ということをみている。

例によって、秘行をしながらこの恐れをみつめていくことにしてみる。

秘行は、自分と関係がうまくいっていない「相手」(自分がこうだと思いこんでいるイメージのとしての相手)の立場に完全に立って、そこからみえる自分のことを自由にジャッジしてみるということをやるのだけど、
今回このくちていく肉体、みにくくなっていく肉体について秘行をやっていると、
その「相手」の対象が、「神」(自分がこうだと思いこんでいるイメージとしての神)にうつっていった。

コースでいう神ではなく、「この世界」をつくっている神だ。

その神の視点にたってこのくちていく肉体の私をみてみると、
この肉体はいつでもひねりつぶすことができる、
何の価値もないチリのようなものでしかない。
イラつきひとつでグチャッとつぶすことができる、何の価値もない、存在ともいえないくらいのゴミ。

そこにはこの肉体にたいする憎しみや攻撃心、優越感などもある。

こんなイメージが自分のなかにあったんだな。。

この究極的な攻撃性を、この世界のいろんなところ映し出して見ている。

「神」というイメージに抵抗を感じていたのも、これを見れば当たり前だ。

この自分のなかにある残酷な神のイメージにちゃんと向き合うしかないと感じる。

そしてそれが本当ではないと認識できない限り、救いはない。