共にあれる場所

神戸で仕事関係のミーティング(トレーニングということになっている)に参加している。

仕事関係とはいっても具体的なあれこれではなく、かなり抽象度が高いことを扱っていて、「現実は何でできているのか」についての話だったり、「分離を前提とした思考体系からいかに脱するか」といったことを扱っている。

ここに来るのを決める前、あたまでは「ここは関係ない」と思っていたけど、内側に自分なりに聞いてみるとどうやら来たほうがいいらしかったので、1月から5月まで全5回で行われるこの会への参加を決めたのだった。

前回の1回目のときにも「やっぱり来て正解だった」という体験があったけど、今回もそういう感じの体験があった。

今日扱っていた内容は(ここだけ取り上げると)コースでもおなじみの内容で、
「知覚されている現実はすべて過去だ」
「今ここだけが、選択できる場所だ」
といったことを深めていった。

みんなでこのことについて話しあっていたときのこと。

みんなの話を聞きながら、
現実は過去で、今ここだけが選択できるポイントだ、ということに意識を向けていると、不思議な感覚がおとずれた。

個の自分という意識が希薄になったという感覚。

この体に自分がいるという感覚が希薄になった。

このわたしという意識はこの肉体人間固有のものではないような感覚。

というかこの肉体人間そのものがいなくなったような感覚。

 

なるほどなあ・・・

私という分離した自己を知覚しているのは、過去を知覚してるということなんだな。「今ここ」には分離した自己はいないんだな・・

そういう実感があった。

この会(トレーニングということになっている)は、コースと同じではないけど、「自我の思考にたいして寛容すぎる」のをあらためるための「トレーニングに取り組む姿勢」をつくる場としては、非常に有用だという体験をしている。

かといって、強いるとか一方的に教えるというのがなく、自発性が最優先にされていてやりやすい。

 


そのあと宿に帰って、この前アップされたフランセスの動画の翻訳文をふと読んでみた。

彼女はこんなふうに言っていた。

「・・・そんなわけで、メッセージはどんどんシンプルになってきています。
プロセスについて話せることは、もうそんなに多くありません。

私はただ心から、すべてが存在する今この瞬間に私とともにあるよう、あなたを招待したいです。

もしあなたが今ここでそうできるなら、この瞬間そうできるなら、それはすでになされています。

それがスピリットがあなたに求めている全てであり、ア・コース・イン・ミラクルズがあなたにもとめているすべてです。

それがすべてです。」


そうか・・・今日体験した、あの「今ここ」で、分離した自己がない場所で、「ともにある」ことができるんだな・・・

 

そしてそれがすべてなんだな。。

 

導いてくださって、本当にありがとうございます。