コラボレーションの世界

最近2冊ほどノンデュアリティの本を読みながら体験したこと、自分がいなくてOKという感覚の体験が、ラファエルといっしょにすごす準備させてくれていた。

負けやすくなるという感覚、今まで自分だと思っていた自己概念を手放しても大丈夫だという感覚を醸成してもらえていたと感じる。


昨日は朝、まだ分離していたいという思いをもちながら、ひとりでスタバでいた。

例の、日本で感じるからだのこと、これはこころのペインというよりフィジカルなペインなので、そこをあつかう・向き合うということは、自分がからだという信念そのものをみていくことになるな・・それはとてもhugeだ、とか考えてた。
そしていつのまにか無意識に、それを「自分で」どうにかしないといけないんだ、というモードになっていたのだと思う。

その後ラファエルに会ったときに、ラファエルが見ている世界、住んでいる世界とズレていたのが感じられて、そこにチューニングをあわせるようなことが起こっていった。

そのズレ、違いについて話したとき、こうして会うことでコラボレーションが起こってるからだよ、みたいなことを彼が言った。

そしてさらにそこにチューニングしていく感じになって、そこから、生まれてはじめて、そのリアルム(領域、〜界)にいる、そこで存在することを体験させてもらえている感じになった。

「わたしひとりの世界」「私のリアルム」ではない、コラボレーションのリアルム。


最初は、うわー、このリアルムは俺の知らないやつだ!と感じた。

でもそこにいつづけていると、まちがいなくこっちのほうが本モノだと感じられる。

今まで生きてきた「わたしのリアルム」、ひとりでなんとかしていくのが基本線のリアルムのほうがあきらかにニセモノだ。

そして朝ちょっと考えていた、自分がからだだという信念に向き合う、というのも、ひとりで、私一人が生きているリアルムでやるのではなくて、この溶け合っているようなコラボレーションのリアルムからみていけるんだ、という、ありがたい救いを感じた。

この、より真実を感じるコラボレーションのリアルムをとおして、今もっている信念に向き合うというのは、ひとりで向き合おうとしてたのと全然違う感じがした。

向き合うという言葉もちょっと違う。出会うとどうしようもなく自然に溶けていく感じ。


そのあとラファエルに、パリでずっと一人で作業してたみたいなときは、どうやってこのリアルムに居続けるの?と聞いたら、このコラボレーションは基本的にはスピリットとのものだから、常にひとつひとつ、毎瞬毎瞬をスピリットにたずねながらいくことになるんだと。

今起こっているこのコラボレーションのリアルムも、いっしょに心をあわせてスピリットにたずねるということなんだと。

なるほど。
つねにひとつひとつすべて聖霊にたずねる、ということの必然性・必要性が、はじめてある程度腑に落ちた。

そしてこの感覚を少しでも味あわせてもらえたことが、その後経験させてもらえることの準備にもなってくれた。

一歩一歩、ステップバイステップで導いてもらえている。