「人生最良の日」そしてここからスタート。

 

起きたこと。

 

この記事(https://welcomejwithintention.hatenablog.com/entry/2019/09/29/180140)に書いたことのあたりから、記憶にある限りの生のなかで初めて、真剣に継続的に祈り始めた。

兄弟姉妹との真のつながり、分離の知覚が癒やされるというゆるしについて。

Who are my brothers and sisters? Show me,show me。
Forgiveness is the healing of the perception of separation。

 

おそらくその答えだったのだろうと後から振り返ってわかったのだけど、祈りの答えが起こっていった。

 


ラファエルが台湾に来てから6日目のこと。

それまではラファエルも少し休みたいということで、とくに映画についての作業は進めず、一緒に御飯を食べたり話をしたりということしかしていなかった。

それが6日目になって初めて、具体的な映画の作業に取り組み始めたとき。

 

表面上の意識の上ではとくに何かが起こっているわけではないのだけど、何か猛烈なイライラ、そして強い怒りが上がってくるのを感じはじめた。

編集について話しながら、ああ、これはラファエルにもバレバレやろうな、と思いながらも、自分でもなんで怒りが湧いてきてるのかわからなかったのもあってそのままにしていた。
怒りがやばすぎて、もう目を開けられなくて目を閉じて内側の感覚を感じながら話していた。

 

で、そのうちやはりどうにも話が前に進まなくなって沈黙が訪れ、どう感じてるのか?とラファエルが聞いた。

「怒りを感じてる」と答える。

 

そして自分がどのように感じてるのか、表面意識と感情の強烈さの不一致などについて話していった。
そうすると、最初感じていた激しいエネルギーの塊のような怒りはどこかへ行ってしまって、そう伝えた。

でもすぐにまた、そのさらに奥深くに、さらに深くて強い怒りが感じられてきて、それを伝えた。

 

しばらく感じた後、また「今どう感じるか?」と聞かれたので、そのときはもうその怒りのエネルギーをただただ感じてるだけだ、と答えた。

するとラファエルは、「そのエネルギーに何かひもづいてる思考のようなものはある?」と聞いてきた。

自分ではただ怒りのエネルギーしかないと思ってたけど、何かひもづいている思考のようなものがないか、探ってみる。

 

すると、自分という表面的な意識に向かってそのエネルギーから何か叫んでいるのが感じられてきた。

 

「お前、こんっっっっっっっなにもずうっっっっっっっっと俺を押さえ続けてきやがって!!!!!!!!! だから俺には怒る権利がある!!!!!!!!!!」

 

これは、このけんたという人の一生をゆうに越えた抑圧と、そこからの怒りのように感じられた。

と同時に、この怒りがある場所、そこで、これまで想像したこともなかったような、生(なま)の、ホンモノの、いのちそのものといえる何かに触れた感触があった。

そのいのちそのものの感覚は、超絶よろこばしくて、これのためなら全てを捨てることができると思えるような感覚。

そしてこれを慈しまずして何も始まらない、何よりも優先して慈しむべきものに感じられた。


そこに触れたとき、ほんっっっっっとうに、申し訳ないけど映画なんてどうでもいいと思えた。

このいのちを慈しむこと、そしてそこから広がっていくであろうものに比べたら。

 

そしてまたどう感じてるかと聞かれたとき、
「深い怒りを感じてるけど、それと同時にすごく幸せだ」
とこたえた。

これが正直なところだった。

 


そのいのちに触れたとき、同時に見えてきたことがあった。
それは、これまでの生(せい)をほとんど覆っていた、このけんたというひとつの人生を越えるレベルの巨大なマスクが、このいのちを抑圧し続けてきたんだということ。

「いいパーソンであることで、何かを与えてもらおう」という巨大な取引のマスク。

 

そしてわからざるをえなかったのは、これまでのこの映画への「献身」と呼ばれるもの、それらもこのけんたという人間にとってはその巨大なマスクのもとになされてきていたということ。

もちろん人は「そうじゃない部分もあった」と言うかもしれないし、実際そうなのかもしれない。

でも私はたしかにこの知覚に気づく必要があった。
ベースにこの巨大なマスク、この人生をも超えるようなレベルで存在しつづけてきた(ように見える)巨大なマスクがあったことを。

 

 


ここへ至って、なぜこのようなことが起きてきたのかが腑に落ちた。

あの祈り、「Who are my brothers and sisters?Show me,show me」の答えをもらえたんだということが。

あそこまで、兄弟姉妹について祈り、兄弟姉妹との真のつながりを求めたのはほんっっっっっとうに初めてのことだった。何ならこの人生を越えたレベルで初めてかもしれない。

もしそうやって兄弟姉妹との真のつながりを求めるのなら、自分自身が巨大なマスクをつけたままでいられるわけがない。

それが必然だ。

それが起こったのだとわかった。

 

もし兄弟姉妹との真のつながりができるとしたら、このいのちが感じられるこの場所でしかない。

それが強く確信された。

そしてジーザスと出会えるのも、神にあたまを下げられるのも、ここからしかない。

ここで初めてジーザスと会えそうだ、というのを感じた。

ここがすべてのスタート地点だ。

 

 

 

この日起こったことについて、総括することはできないけど、とにかく、私にとってはこれまでの人生のなかで最良の1日だった。

その結果まわりに迷惑をもたらすような方向へすすむことになったように見えるけど、申し訳ないけどそんなことは問題ではないといっている部分もある。

あのいのちに触れられたことは、何ものにも代えられない。

 

そしてここからが、兄弟姉妹に出会い、ジーザスに出会い、分離の知覚が癒やされ、神とひとつにもどっていくための本当のスタートとなる。