個人のものではない。

ラファエルといたときの怒涛のブログアップから日が空いた。
あの日以来、新しいあり方が始まっていて、前と同じではないという感覚のなかで、慣らし運転をしていたように感じる。

 

あのとき、深い怒りを感じながら、同時に「奥深いいのちに触れられた」ような深いよろこびを感じていたとき、「もう絶対以前にもどりたくない。戻らせないでください」と祈っていた。
その祈りが届いたのか、以前はなかった「内側のつよさ」につながっている感覚は続いている。

 

あの日、深い怒りと深いいのちを同時に感じ続けたとき、「ひとりにしてほしい」とラファエルに頼んでラファエルは出ていった。
そして自分もその後外に出ていって、そのとき起こっていることを統合するために仲間にたすけてもらいながら、かなり時間がたって部屋にもどり、そこでラファエルと話をした。

そのとき自分でも自覚はあったけど、ラファエルが「今までけんたがこんな風な態度で話したことはなかったね。強さを感じる」と言った。
その内なる強さとのつながりが続いていることが、うれしく、ありがたい。

 

そしてラファエルといっしょにいるときにひんぱんに祈るようになった、

Who are my brothers and sisters?Tell me,tell me,tell me.
Forgiveness is the healing of the perception of separation.

この祈りも続いている。

 

あのとき、この内側の強さ、いのちに触れられる場所からでないと神と出会えないと感じたけど、たしかにこの内側の強さが神とつながっているんだ・・という確信が芽生え始めている。

この内側の強さは、どうやら個人的なものではないらしい。