時間の使い方

自分で、この残された時間の有効な使い方、もっともためになる使い方なんて、到底わかりようがない。

今いろいろな「できること」があるなかで、人生の時間というものもあるように見えるなかで、どのように毎日の時間を使っていけばいいのか?
内なる叡智・内なる教師にたずねずにやっていくことは完全に不可能のように感じられてきている。

それと同時に、これまでの自分のやり方、自分の時間の使い方というのは、その根本に大前提として欠乏の信念・自分は喜びを奪われた罪人だという信念があったのだということも、前よりも強く実感されてきている。

 

その場所で、誤った信念を手放すことを望み、ジーザスに助けを求め、ジーザスを受け入れたい。

遍在する完全な無条件なよろこびを。