違うレベルの信頼
とても印象的な夢をみた。
現実離れした世界の設定。
空から垂らされたロープみたいなものに乗って引き上げられていこうとしている人がいて、
「誰もいっしょにいかないの?」みたいなことを、地上にいる人たちにその人がたずねる。
自分はいてもたってもいられなくていっしょに行くと言う。
でもそのやり方というのは、細いひもをその人のロープに結ばせてもらって、
それに腕でつかまっていくというもの。
「こんな体勢で長い時間耐えられるんだろうか?」
「筋力がもつだろうか」
「もっと安定した体勢で乗っていける方がいいのにな・・」
といった不安も上がる。
と、そのときにフッと気づいた。
この、自分がひもをくくりつけさせてもらおうとしてる空からのロープって、
いったいどこに固定されてるんだ???
どこに支点があるんだ???
どこに今後も落ちない保証があるんだ???
ここからは何も見えない。
ただ、信頼して、ひもをむすびつけて引き上げてもらおうとしていたんだ、、と気づいた。
すげーな、よく信頼できるな、と自分でやっといて笑けてきた。
(自分のなかで彼は、おちゃらけもするけど野球にたいしては非常にストイックで真摯に取り組んでいて、それにともなったすばらしい結果を出している人、というイメージがある)
覚悟の決まっていないスポーツ紙か何かの取材者に向かって
「・・・だったら本当にもう帰っていいよ」
「生まれてくるために生まれてきたわけじゃないんだから」
と言っていた。
最後の言葉、表面的に考えると意味不明なんだけど、
とても深いメッセージを感じた。
この世界でどうこうなるために生まれてきたわけじゃないんだから、みたいな。
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もうひとつ別の話で、これはこの現実世界の話。
今台湾で日本語を教えることを始めていて、
今までになかったような新しい人たちとの出会いがあるなかで、
ここ2-3日のほんの短いあいだに年齢を聞かれる機会がいろんな場所で立て続けにあった。
好きな人のカフェ界隈でも今まで1年以上、聞かれたことがなかったから誰も知らなかったのだけど、
そこでもついに聞かれる機会があって、初めて年齢を知られることになった。
これまでもいつも反応は「そんな年齢とは思わなかった」というもので、
自分のなかではいつも恥の感覚が上がってくることだった。(その歳でこんな状態なのかよ!という蔑み)
今回立て続けにこういうことが起きたとき、
ある種準備が整っていたというか、その恥の感覚に押しつぶされないだけの手放しはかろうじて準備されていたように感じた。
そしていよいよ、もうすべて手放して、オープンにして、人にすべてをさらしても大丈夫なことを真に受け入れていくときなんだよ!と促されているように感じている。
年齢をオープンにして、それについてのいろんな反応をみせてくれる相手と話しながら、ああ、もうぶっちゃけていくときなんじゃーーー、それをゆるしても大丈夫なんじゃろーーーーーと感じていた。
この感覚と、今朝みた夢もとてもつながっている感じがしている。
本当に、今までとは違うレベルの覚悟みたいなものを決めるときなのだと。
人間的にはだめだめなまま、違うレベルの信頼のもとに生きるときなんだと。
あと、映画についても、のりこさんが言ってたとおり、
もっと何かの力がそそぎこまれることになってるんじゃないか、
まだまだそこにそそぎこまれるべきものがあるんじゃないか、もっとクリアで爆発的な何かが・・というのも感じている。
そのために自分がどんな使われ方をするのかはまったくわからないけど、
もしそうなればそれは確実にしあわせ、開放、さらなる拡大、エクスパンションにつながるし、
そのためにすべてを捧げたいと思う。
Jesus,どうか完全なよろこびの爆発のためにわたしのすべてをお使いください。