外ではなく内側をみる覚悟

台湾の旧正月で外食できるお店のほとんどが閉まるため、2泊ほど台北の姉宅にお邪魔している。


最初来たとき、何か最近の日常とは違うそわそわした感じを感じていて、
その違和感は、姪っ子がえんえんと見続けているyoutubeの音声や、新型肺炎のニュースについての姉の恐れや、父に電話したときの姉の態度にたいする怒りが吹き上がってきたときに、よりはっきりしたものとして感じられてきた。

 

当然のように外側に原因を見て、攻撃したい衝動もあったけど、そこで踏ん張って自分のなかに原因をみていくと、落ち着ける。

 

そして気がついたのは、最初感じた違和感は、今までデフォルトのようにもっていた、姉や姪っ子にたいして取引というか、この人格レベルで持っていた期待から来てたんだ・・・ということだった。

 

最近の内面の感じ方の変化から、この二人にたいする期待に基づいた見方は温存・取り残されていて、それがここへ来たときの違和感として感じられたんだと思う。

 

その気づきがあってから、この二人にたいしても最近みてたのと同じように、同じひとつの愛のこころがその奥にあるということを見れるように祈り、気がつくと、最初感じていたそわそわした違和感はなくなっていった。

 

やはりどんなときでも、自分の内だけに向かう覚悟みたいなものについて、あらためてその重要さを認識させてもらえている。

 

 

・・ここまで書いて公開しようとして、「外ではなく内側をみる覚悟」というタイトルが浮かんだときに思ったこと。

今回のことだけでなく、本当に、日常のあらゆるすべてにおいてこの覚悟をもっていきたい。