動揺

昨日例のカフェにいて、一瞬孤独感と被害者意識におそわれそうになったとき、自分の過去のブログにかかれていた内容がたすけになってくれた。

 

4分裂の体験映像のこと。https://welcomejwithintention.hatenablog.com/entry/2020/01/28/201535

そして聖霊が神からのこたえであり、これは実は本当に実践的なこたえで、あらゆる問題に適用できるということ。https://welcomejwithintention.hatenablog.com/entry/2020/02/13/171545

 

4分裂の体験をとおりぬけた先に体験しているのがこの世界なんだ、ということを思い出すと、さっきまで分離や距離を感じていた「人たち」が、何か同じ種類の存在のように感じられてきて、ほっとする感じがあった。

 

そしてこころの平安を乱す原因は彼らや外側にはなくて、こころのなかにしかないということにあらためて向かい合える。

 

と言ってるそばから、今近くにいていちゃついている若いカップルを見て動揺しているのだけど。

怒り、いらつき、お前ら早く消えろという思い。

 

どうやらわたしは愛さないことを選んだに違いない。

そうでなければこのような動揺や恐れが生じることはありえなかった。

 

 


今日、
のりこさんのテキストがあらあめて浮かび上がっている。

「私たちは一人で過ごす代わりに、日常のすべてを目覚めの実践のために使うことができる」というところ、

「日常のすべてを」というより、
「自分が経験する関係のすべてを、目覚めの実践のために使うことができる」
というのが今はしっくりくる。


そう、あらゆる、すべての関係性。

こういう「たまたま」目にするカップルのいちゃつきとかも。

あらゆるすべての関係性を通して、
自分が今完全な自由、完全な平安、完全なよろこびを感じていないのであれば、
何かがおかしいということ。

 

それが思い出したいと思えるきっかけになる。

あの4分裂の体験映像をくぐり抜けた先の世界がここなんだと。

自分が愛さないことを選んだんだと。

愛さないことを選んだ結果の強烈な恐れと罪悪感から逃げ延びようとしてボワンと生じさせた先がこの世界なんだと。

 

この体験をつくっている思考と信念は、わたしの内側にあるのだと。

 

それを思い出して、
この世界という原因によってわたしがおびやかされているという転倒した知覚が訂正されますように。

そしてこころの奥に巣食っている、この世界すべてを生み出す程度には強烈な、恐れや罪悪感を、聖霊という神からのこたえに向けて差し出すことができますように。