責任

いつもは台灣から帰国している間だけの一時滞在で父の家に間借りしているのが、今回はいつまでなのか先が見えないなかで間借りし続けるという状況になっている。
父とはこれまでいくつものプロセスを経て、できる限りの内面の打ち明け合いというのをやってきて、基本的にはストレスのない関係を築けてきていると思っている(いた)。

 

それが昨日、ちょっと自分のなかで我慢ならない感覚が上がってきた。
父はほぼ家にいて多くの時間(日によってはほとんどの時間)TVをつけて過ごしている。
TVまでの距離があるので、音量もかなり大きいことが多い。

 

一方けんたという人間のアイデンティティによると、「私はTVなんてみない」「TVに自分のマインドの平和が乱される」というアイデアがあって、そこからいろんな思考や不平不満が上がってくる。
いつもなら「台灣に帰るまでの話」なので我慢できるけど、今の状況で我慢が限界に達しつつあるんじゃないか・・という、この世界の原因と結果にもとづいた思考が上がってくるのを感じた。

 

この思考を採用してそっちをフォローしていくと、「率直にTVを消してほしいと話すか?」とか「じゃあやっぱりどこか部屋を借りてそこに一人暮らしするか?」とかの思考もでてくる。(けんたはTVに平和を乱されるというアイデアを握ったまま)

 

でもそれも何だか今は違うような感じがして、困ったもんだな、このイライラ・・我慢できなくなってくる・・となって、とりあえず最近購入していた耳栓をつけて(驚くほど効果が高い。この耳栓があったのは自分にとって優しいことだな、と感じた)、となりの部屋で目を閉じてたすけを求めた。

 

久しく実際には書いていなかったジャーナリングをやってみたいと思った。
(2018年10月のカースティンのリトリートで教えてもらった、ノートとペンをもって質問して手が動くままに文章を書いてもらうというやつ)

 

思いつくままに助けを求める言葉を書いてみた。


「私たちをたすけてください」
「この父と暮らすことについて、何に直面することを求められているのか?」

 

すると、こんな言葉が書かれていった。


「あなたのことはよく知っています。」
「私に預けなさい。私に預けなさい。」
「幸せはあなたの責任ではありません」
「あなた方は死ぬことはありません。決断してください。」
「固まった役割は手放して私に渡しなさい。ありがとう。」
「2人ともいっしょにそのまま 運ばれてゆけばいいのです。ありがとう。」

 

これらの言葉が与えられてから、何か自分のなかでのものの見方が大きく転換していくような感覚を覚えた。


ああ、そうか。
自分はものごころついたときから、「世界に対応しなければ」というのを基本にして生きてきたという記憶がある。

 

「自分が世界にうまく対応することで、自分のなかの平和がたもたれる。」
「だから自分の平和とか幸せには、自分がどう対応するかがかかっている」
というふうに。

 

父との関係においても、そういうのが根底にあったことに気付かされた。

 

「自分が」心を開いたり、「自分が」打ち明け合うようにすることで、状況をよくしていったり幸せを感じれるようになると。そのための責任は「この自分」にあるというような。

 

ジャーナリングの言葉を受け取ったとき、
その責任はこの個人のけんたにはなくて、個人のけんたが幸せのために何かに対応したりする必要はなくて(それは不可能で)、
私たち二人ともそのままで運ばれていけばいい・・というのがどういうわけか深く入ってきた。

 

「このわたし」に幸せの責任があるのではなく、ジーザスとかスピリットが面倒をみてくれる。

そのことをこれまでになく受け入れられる感じがしてきた。

 

そうすると、たとえばこれまで自分の肉体について、年齢にあらがって若く見せる必要があるとかにも責任を感じていたことに気がついて、そういう抵抗も手放せて今のあるがままをまるごと受け入れることができるような、ホッとした感覚を初めて感じた。

 

以前勉強会でシェアしたような、年齢についての恐れとか、見た目とのギャップを言われることへの恐れとか、それにもとづいた「年齢相応に成熟しているようにならなければ」といった焦った思考なども、何か全体的に包み込まれて溶かされて、ホッと受け入れることができるような。

 


幸せの責任は、限られた視界と歪んだ見方しか持たない「わたし」にはない。ありえない。わかりようがない。


ジャーナリングにあった「あなたのことはよく知っています」という言葉は、私よりも私のことを全然よくわかってるということなんだろうな。

 

あと一見意味不明だった「あなた方は死ぬことはありません。決断してください。」という言葉。

これも「物理的な距離を取るなどの方法で時間稼ぎしても、時間は解決にはならない。自分の幸せは自分に責任があるというアイデアを手放す決断だけに力がある」ということを教えてくれているのかな、と感じた。

 

ジーザス、スピリット、私の幸せはあなたにおまかせします。
ありがとうございます。