祈り

前の記事に書いたように、
「私たちの真の姿、光、壮大さを思い出すために必要なすべてをガツンと送ってください」
と祈ってから、
何か追い込まれてきてるように感じている。

これはありがたい。

 

 

いろいろあるひとつ。

 

父が超巧みな国際詐欺にひっかかって、そのことを伝えたのになおも信じ続けようとしていたとき。
父にたいして「ぜんぶでっち上げなんだよ!!」とほとんど叫んでいたとき、これは自分に言ってることでもあるように感じた。


「父が」間違ったストーリーを信じていて、俺がそれを正そうとしてるけれど、
自分も大差ないんじゃないか?
間違ったストーリーをただしいと主張しまくってるんじゃないか?
この世界に生きているこの肉体が自分だという前提にもとづいた、数多くのストーリーを。

 

それはそれとして。
まったく聞き分けない父にたいしてブチギレて「もうええわ!」といって部屋にすっこんだとき、父がこれまでにないほど、内側の泣き叫びを表現するということが起こった。


形的には、お前息子が父に向かってそんな言い草はないやろ!というとこから入っていったけど、それをきっかけにして、これまでの人生にたいして感じているすべての不平不満の叫びを上げ始めた。

 

それを隣の部屋で聞きながら、あるタイミングで父の言葉に反応して戻ったとき、彼の顔、表情が本当に泣き叫ぶこどものように見えて、思わず近寄って両肩に手をおいてさすることをせずにはいられなかった。


「わかった、わかったよ」と言いながら、自分が何を言うとか彼が何を言うとかは関係なく、ただただこの肩に置かれた手を通して、私たちを超えたよりおおきな存在の愛が注がれてほしいと願っていた。愛が注がれてほしいと。
父の吐露は続いたけど、だんだん私を攻撃する言葉はなくなっていった。


肩をさすりながら、ハートからより大きな存在の愛が注がれることを願いつつ吐露を聞いているあいだ、なぜかわからないけど涙がでて泣けてきた。

ただただ、もう愛が注がれる通路になるしかないという感じだった。

 

 

 

次の日あった出来事によって、だまされたことを父もある程度受け入れてきて、それによるショックのような無気力さも、しばらくのあいだ表情にでていた。

 

でも今日あたりから、何か父のなかのつきものが落ちたような、風通しのよい機嫌のよさを感じている。

 

これもひとつの聖霊からのこたえなのでしょうか?
もしそうだとしたら、もっともっとこの広がりのなかへと広がっていけるように祈りたいです。完全な自由、完全なよろこびのなかに。


ありがとうございます。