奇跡と自我のストーリー

輪島シューティングがあのような奇跡に満ちた旅になったのは、
自分の知覚のなかでは本当に綱渡りのように感じられていた。

 

でもあらゆる人・シチュエーションが、
私たちの意欲によってスピリットに使われると、
スピリットにとってはたやすいことなのかもしれない。

 

このすべてについて、
自我のストーリーをもっていることを捧げたい。
この自我のストーリーを手放して、奇跡を全面的に受け入れたいです。

 

 

 

初日のドライブから金沢で撮影が始まるくらいまでは、
基本的に統合された感覚、エクスパンションを感じていた。

 

でも撮影準備中にラファエルから「のりこは何か感じてるのかな?」と聞かれて、
そのときからのりこさんの重たい雰囲気に注意が行き始めた。


それと同時に自分の内側が混乱し始めて、
統合された感覚からぐちゃぐちゃな感覚、分離した感覚へと乱れ始めた。


そのときは怒りとか悲しみとか具体的な感情は感じられなくて、
ただ混乱したような分離感を感じていた。

 

 

撮影が終わって宿に帰ってもずーっとその混乱と分離した感覚、何かが詰まったような感覚は続いていた。


宿でもたんたんと食事が終わって、もう遅いし寝る時間。


こんな時間からエクスプレッションするのも明日の予定を考えると適切じゃないんじゃないか。

 

そんな思考もあったけど、
本当にこの詰まった分離感に耐えきれなくなって、
もう寝ようかというときにのりこさんのところに行って


「5分だけでいいのでエクスプレッションさせてもらっていいですか?」


といって、のりこさんの手を握りながら今日一日感じていたこと、
のりこさんへの知覚がトリガーとなって混乱していることなどをエクスプレッションさえてもらった。

 

それと同時に、
どうしてものりこさんが感じていることを表にだしてほしい、という思いもあった。


それを伝えると、のりこさんがその日内側で感じていたことを話してくれ始めた。

 

 

そのあたりからはあまり記憶がない。
後できいたれいさんやじゅんこさんの話からちょっと思い出した。

 

「のりこさんの内側で感じていることを話してもらえただけで、つながりが感じられてうれしい」


「ラファエルにたいして抱えている思いなんかも、ラファエル以外のマイティコンパニオンに打ち明けてもらえるとうれしいし、のりこさんがひとりで乗り越えなくてもいい」


「マイティコンパニオンにエクスプレッションすることの恩恵を、のりこさんが導いてくれたおかげですごく体験させてもらえている。のりこさん自身もその恩恵をもっと受けていいんじゃないかと感じる」

 

こんなことを話したと思う。

 

のりこさんは本当に内側で感じていることをまっすぐに表現してくれていた。

 

最終的にはラファエルもふくめ全員が加わって、みんなで手をつないだ。

 

あまり記憶はないけど、エクスプレッションする前とはまったく違った、詰まりが溶けたなかで眠りにつくことができたと思う。

 

けんた視点の初日はこんな感じだった。

 


で、このようなけんた視点のストーリーがあるなかで、
これはこの日に限らず旅全体にいえることなのだけど

 

「この奇跡に導かれたのはオレの功績」

 

と主張している部分がある。

 

この日でいうと、


「オレがあのときのりこさんに話しかけたから」
「のりこさんのエクスプレッションを引き出したのはオレだから」
「オレが〇〇と話したから」


とか。

 

だからじゅんこさんがブログでこの日のことについて書いているのをみたとき


「のりこだけでなく、オレの功績をもっと認めろよ!」


という声があるのにも気づいた。

 

今こういうふうに書いてみると、

自分のそういう部分にたいして悲しさを感じる。


こういうことを晒してどうなるのか
本当にわからないけど、
持ち続けているのは嫌なので、
とりあえずここに出してみたいと思いました。