狂っとんねん
「自分」と「相手」っていう人間同士としてわかりあえるとか、
もう完全に不可能ってことでええんじゃないだろうか。
完全に狂ってるんじゃね?お互いに。
この水平面での横でのつながりについて、
わかりあえたとかわかりあえないとか、
そんなのどうでもええんじゃないだろうか。
この水平面での横のつながりのなかで、信頼できる「相手」なんかおるかいや。
あまりの「相手の言動」にたいする絶望(自分の「期待」との乖離っぷり)からこういうふうに感じ始めている。
でも絶望感を感じるというわけではまったくなくて、
何か新しい何かに開いていきそうな感覚。
「この道、プロセスをすすむ自分」はどんな段階であってもすべて自己概念や。
そんなん全部狂った考えでしかないねん。
ほんまいらんわ。
「相手」の言動にたいして、
それはエゴやって非難するけど、
それそのまま「オレ」もそうやということになっとる。
これが「自分」と「相手」っていう人間同士のかかわりのなかで起こっとることや。
それをなんか別のものに正していくことなんて不可能やし、
そんな必要ないねん。
スピリットはそんなこと求めてないねん。
存在しとらんものをただすことなんてできひんねん。
狂っとるもんはそのまま受け入れるしかないねん。
ただそれは真実じゃないねん。
受け入れるけど真実じゃないねん。
今日の復習。
レッスン53。
Lesson11
私の意味のない思考が、私に意味のない世界を見せている
私が気づいている思考には意味はない。
その思考を描き出しているこの世界にも意味はない。
この世界を生み出しているものは狂っており、
それが生み出したものも狂っている。
リアリティは狂っていなくて、
私には狂った考えと同じく狂っていない思考もある。
だからもし真の思考を私のガイドとするなら、
私はホントの世界を見ることができる。
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あの巨大なダークネスの原因をDisplaceしてJustifyするための獲物を外側に見つけたといって、「その思考」を生み出し続けているのをすげえリアルに感じている。
その様子が手にとるように感じられる。
「あれが原因だ!この怒りの原因だ!」と指差して、それにまつわる思考を再生産し続けている。
本当に狂っている。
これがオレが見ている世界。
できることは、
あの巨大なダークネス、ダークな感情をそのままゆるして、
ただしそれを真実ではないものとして浮上するのをゆるして、
じゃあ真実は何?と求める。
真実は、この世界がどう見えるかとか、誰がどう言動するかとかには、まったく関係ないんだろう。
それが自由だと感じる。
そこに解放感を感じる。
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Lesson12
私が動揺しているのは、私が意味のない世界を見ているからだ
狂った思考は動揺を誘う。
狂った思考はなにひとつ秩序のない世界を生み出す。
混乱した思考の現れである世界を、混沌のみが支配する。
そして混沌にルールはない。
こんな世界で平安に生きることはできない。
この世界がリアルではないことに感謝する。
そこに価値を与えない限り、この世界を見る必要はない。
完全に狂っていて意味のないものには価値を与えないことを、
私は選択する。
MEMOーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
完全に狂っていて意味のない自己概念とか相手概念とかそれベースのやりとりに価値を与えとったんやな。
そのやりとりの中で浮上してくるものを抑えたり、どっかで全部感じきるのをセーブしてしまうのは、それがリアルだと信じとるからや。
リアリティはそれじゃない、と言って
リアリティをスピリットに求めれば、
安心してリアルでないものすべてを浮上させることができる。
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Lesson13
意味のない世界は恐れを引き起こす
完全に狂ったものは恐れを生み出す。
なぜならそれはまったくたよることができなくて、
信頼できるどんな土台も与えてくれないから。
狂気のなかにたよりになるものは存在しない。
狂気は安全も希望も差し出さない。
でもそんな世界はリアルではない。
でも私はそんな世界に、これが現実だという幻想を付与し、
それを信じ込むことで苦しんできた。
今私はその信念を引っ込め、
リアリティに私の信頼をおくことにする。
この選択によって、
私はこの恐怖の世界のあらゆる影響から逃れることができる。
なぜならそれが実在しないと認めることになるからだ。
Lesson14
神は意味のない世界を創造しなかった
神がそれを創らなかったのだとしたら、
どうして意味のない世界が存在しうるんだ?
神がすべての意味の源であり、リアルなものはすべて神の心の中にある。
それは私の心でもある。
なぜなら神は私といっしょに創造したからだ。
なぜ私の狂った思考の影響によって
私が苦しみ続けなければならないんだ?
創造の完璧さが私の家だというのに。
私の決断の力を思い出させてください。
私が本当はどこにいるのかに気づかせてください。
Lesson15
私の思考は私が作り上げたイメージだ
私が見るものは何であれ、私の思考の反映だ。
私の思考が、自分がどこにいて何者であるかを告げている。
苦しみや喪失、死がある世界を私が見ているという事実が、
私の狂った思考が表現されたものだけを見てるということ、
そして私のリアルな思考がその慈悲深い光を私の視界に投げかけるのをゆるしていないんだということを教えてくれる。
でも神の道は確かだ。
私が作り出したイメージは神に打ち勝つことはできない。
なぜならそれは私の意志ではないから。
私の意志は神の意志であり、神の前にどんな別の偽神も置くつもりはない。