非常にたすけてもらっているフランセスの動画「Trust Is Total」

フランセスの動画「Trust Is Total」の和訳です。

最近の体験とあいまって非常に力を感じている内容で、

何度も何度も読み返しています。

 

・自我の力動について理解することを否定はしないが、「自分にたよる」ことになる可能性がある。自我の力動について学ぶことと「信頼」は関係していない。

信頼は、それとは非常に異なったアプローチ。

 

・内側に上がってくるものをジャッジせずに(受け入れる)、、のだけど、それが分離という嘘にもとづいたものだとしたら、それを真実として「受け入れる」のではない。

私たちが本当に受け入れるのは「真実」だけ。

 

・信頼とは、分離という嘘とその影響(ネガティブな感情など)を黙認することではなく、

解決(こたえ)がすでに今この瞬間あることを信頼するということ。

 

・信頼するとは、自分ではなく、問題の外側にいるスピリットにたよるということ。

 

・知覚のすべてをスピリットからのこたえとして使ってもらえるよう、差し出すことができる。


 

youtu.be

 

※もし実際の動画に字幕入れしたいという方がいらっしゃればお声かけてください。

時間表示付きの訳があります。

 

phonio2013@gmail.com(吉本)

 

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今日は「信頼」についてすこしお話ししたいと思います

解決する必要のある問題や感情、あるいはもはや役に立たないとわかっているある種のパターンが現れてきたとき

通常
それらを扱うための2つの方法があります

ひとつ目の方法は抑圧することです

つまり
「この問題はたぶん手に負えないと思う」

「私たちにはこれに対処できる力がないし、
周りに誰か助けてくれる人もいない」

といって
直面していることを恐れるのです

すると私たちは基本的にそれを隠しておきたいと思うようになります


私たちの注意をその問題からそらさせ
それを見る必要がないように
将来同じ場所か違う場所でその問題が現れてこないよう願うのです

こうしたことの多くは無意識で起こります

能動的にこんなふうに言ったりはしません

「OK これは問題だ
でも私にはこれに対処する力がない」

「だから私はただこれを抑圧して絨毯の下に隠しておこう」


通常はこういうことには気づいていません

 

基本的には苦しみやストレスを感じるだけで

 

意識上にはどんな代替案もありません

そして私たちは幸せであり
リラックスしたいと願っています

そのため私たちは自然に
気をそらして
問題を見ない方向へと向かうのです

それが問題に対処するひとつの方法で

私は奇跡講座とともに歩む旅路に入る前
この対処方法に多く気づいていました

なぜなら私は自分の問題を理解するための道具を持っていませんでしたし

自分自身や自分の感情を理解するための道具を持っていなかったからです

そしてたとえばパートナーなどの周りの人々も
私や私に起こっていることを理解するための道具を持っていませんでした

基本的にそういう感じでした

そして次に
ものごとに対処するための2番目の方法があります

私はこの方法について
とくにこの奇跡講座という驚くべき道具を手にした後
気づくようになりました


私には本当に使える力があるし

たくさんの助けや
多くのマイティコンパニオンが周りにいて

問題を扱うことができると感じるようになった後です


つまり2番目の方法とは
「私はこれを克服したい」というものです

これは完全に意識されているとは限りませんが

「私がこの夢 あるいはこの目覚めの旅のヒーローになる」

「私には知識があり 分析できる」

「私は自我のパターンを知っていて
私をだまそうとする自我のトリックを知っている」と


ただ私はこれを完全に否定したいわけではありません

これは紙一重なんです

私たちが自我を見て
もはや惹かれることのない
そのパターンや行動を見るとき
そこには真実性があります

それが癒やしの起こるやり方であり

私たちは
「自我は私ではない」
「これは私がほしいものではない」
「これは私が選ぶものではない」
と認識し始めるのです


でも私が今ここでお話ししているのは
この旅路をとおして
私はこの問題や感情、癒やしのプロセスを扱う2番目の方法は

「私次第のものだ」と感じてきたということです

なぜなら私が確実に学んできたのだし
私が自我の力動を理解しているし
私が心のなかでうまく対処することができるから

 

そういうわけで
ひとつの方法が「抑圧」で
もうひとつの方法が「克服」です


この2つの方法どちらも
「信頼」には根ざしていません


今日私が焦点を当てたいのはこれです

信頼はこのどちらでもありません

それは非常に異なったアプローチであり
非常に異なった態度です


信頼とは「まったく何も知らず」かつ「注意深くある」という状態です

「私は何も知らない」ということが注意深くないことを意味するわけではありません

それはマインドレス(思慮のない・不注意でいる)という意味ではないんです

「何も知らない」状態とはマインドレスなことではなく
それとは非常に異なっています

それは率先的なものです
信頼とは率先的な態度なんです

「信頼」について話される多くのケースで

それは人生にあらわれるすべて
苦痛のすべてを受け入れることだと
言われることがよくあります


そのようなことが言われます


これは完全にはしっくりきません

なぜなら「苦痛を受け入れる」ということは


この言葉自体いろんな取り方ができるのでそれにもよりますが


私たちは自我を受け入れるためにここにいるわけではまったくないということです

なぜなら自我は私たちではないからです


自我とは基本的に
「お前は神から分離している」と告げる信念です


そしてそれが真実ではないからこそ
私たちは自分自身に向かって「それを受け入れます」と告げることはできないのです


「私は真実ではないものを受け入れ
それと和解することができる」

こんなことはありえません

そして苦痛とすべての自我の感情はこの信念に基づいています


この文脈で「私たちは痛みを人生の一部として受け入れるべきだ」という言うことがありますが

たしかにこんなふうに言うことはできるでしょう
「OK あらわれてくるものをジャッジしないようにしよう」
「もし感情が上がってくるのなら それをジャッジする必要はありません」

でも同時に私たちは
それが私たちが黙認している嘘に基づいたものだと見る必要があります


私たちは嘘を黙認する必要はありません


私たちは真実を受け入れるためにここにいるんです

 

なぜなら苦痛は私たち本来のリアリティではないからです


それは私たちの本来のリアリティではありません

ですから「信頼」について話すとき

「私たちの問題を信頼しよう」とか
「私たちの苦痛を信頼しよう」とか
私はそういう話をしているわけではありません


自我のフィルターをとおして
知覚された世界が映し返してくれるものを信頼しよう
という話ではありません


「解決(こたえ)も今ここにある」ことを信頼しようと言っているのです

解決(こたえ)は手の届く場所にあることを信頼し

その解決(こたえ)を受け取ることにフォーカスするのです

私にとって信頼とは
問題を抑圧するかわりに

私は知っている
自我について知っていると考えるかわりに

あるいは知らないとしても
それを深堀りして分析して自説を主張し論文を書いたりするかわりに

自我は自我自身について研究するのが好きですが・・

それらのどれでもなく


そのかわりに
自分自身に問題と解決(こたえ)のどちらがほしいのかとたずね
解決(こたえ)は今ここにあると告げることです

 

そしてもし解決(こたえ)が今ここにあるのなら
しっぽを追いかけて走り続けるのをやめてください


あなたが惨めな理由を正当化し続けるのをやめてください

なぜあなたが怒る必要があるのか
なぜひどい扱いをうけたのか
なぜなぜなぜ
それらの理由を正当化し続けるのをやめてください


あなたは誰に向かってそれを正当化しているんでしょう?
あなた自身にです!

基本的にあなたは自分自身にこう言っているんです

「私は答えを受け入れたくない」

「もう少しこの問題の中で混乱していたい」

「私はこの問題を確実なものにする必要がある」

「なぜなら私は苦痛を感じるのに値するから」

 

「信頼」を感じるためには多くの強さが必要です

なぜならあなたが信頼するとき
その態度をとおして自分自身にこう言っているからです


「私は解決(こたえ)がほしい」

「苦痛を持ち続けていたくない」

「なぜならよりよいものがあると知っているから」

「解決(こたえ)があることを知っているから」

「私はただそれを見つけ 受け入れることにフォーカスする必要がある」と

 

コース(奇跡講座)にこのような一文があります

もし目的が的を射ていないなら

あなたが追求している目的が無意味だとしたら

無意味とは真実ではないという意味ですが

たとえば自我の領域で目的を追求していたり

苦痛を追求していたり
あるいは苦痛を正当化するために追求していたり

そういうふうにもし目的が的を射ていなかったとしたら


その手段も同じく無意味になります

初めてその箇所を読んだとき
素晴らしいと思いました

なぜならそうすると
「目的は未来にある」と言って
自我が私をだますことができなくなるからです

目的は今なんです

あなたが今やっていること
話していること
自分自身に告げていることが

意味があるか無意味かのどちらかなんです


この瞬間
「手段」は意味があるか無意味かのどちらかです

なぜなら「手段」は
この瞬間
あなたを真実 心の平安 幸せへと連れていくか
あるいはそこから離れさせるかのどちらかだからです


手段と目的は共にある
手段と目的は同じ


これは何を意味するのでしょう?

答えはここにあるとあなたが信頼するとき
あなたはすでにその答えを得ているということです

 

なぜなら実際にやってみるとわかりますが
あなたが信頼するとき
すぐに平安を感じることができるのです


心のなかですでに問題は解決されています

もしかしたらあなたは「まだ答えは来てません」と言うかもしれません


でももし
まだはっきりと現れたり意識的にピンと来ていないにもかかわらず
答えが今ここにあると完全に信頼していたとしたら


あなたはすでにそれを得ているのです

 

それが
「手段と目的は共にあり
手段と目的は同じ」
ということです

それらは二元性の世界、知覚された世界のなかでのみ
異なっているように見えます

それらは同じです

あなたが手段と目的はここにあると信頼するとき
あなたはすでに目的を受け取っているのです


ですから信頼とは
あなた自身にたよることではありません

 

信頼するとは
問題の外側にいる存在にたよるということです


それをハイヤーセルフと呼んでもいいですし

コースでは「スピリット」と呼んでいて
それは真のあなた
真の自己です

それは二元性の世界にだまされることがありません


ですからあなたは自分以外の何か
あなたの中のスピリットにたよるのです


それが「信頼する」ということです


そしてそのとき
私の経験によると
解決(こたえ)がやってきて
意識の上でもそうだとわかるのです

私にとってそのために必要なことは
自分のギア、注意を向ける先を
「問題を探すモード」から「解決(こたえ)を探すモード」に切り替えるだけです


そして驚くことに
解決(こたえ)は同時にそこに存在しているんです

それがわかるのは後になってからかもしれません
まるで時間というものが必要であるかのように

でもそれは最初からずっとそこにあるんです

あなたがその時関わっていること

祈っているとき

読んでいるもの

その瞬間に入ってくるテキストメッセージ

耳に飛び込んでくるサウンド

もしあなたがそこに注意を払っているなら
それが解決(こたえ)なんです

多くの場合
それは後になってからわかります

でも自分の心を「信頼モード」に切り替えると

こうした事にもっと簡単に気づくようになっていきます


なぜなら「自分の心の動揺がいかに正当なものなのか」について
自分自身や他の人々を納得させようとすることに
心がフォーカスしなくなるからです

すると基本的に
この世界のすべて
私が知覚する世界で目の前にあるあらゆるものが
私にとって新しい意味をもつことになります


なぜならそれらは私にとっての解決(こたえ)を表しているからです

周りを見渡して
問題を見ることをしなくなります

なぜならそこには解決(こたえ)を与えるためにスピリットから供給された
シンボルがあることに突然気づくからです

その瞬間誰かがメッセージをくれたり

誰かが電話をかけてきたり

何かに目がとまったり

何かの曲が耳に入ってきたり

こうしたすべてが解決(こたえ)の一部になり始めるのです

そして世界は突然
まったく違った世界になります

自我の心から私を連れ出してくれる
スピリットの世界になるのです


それが「信頼」がもたらしてくれるものです


ですから信頼するとは
あらゆるものすべてを信頼するという意味です


なぜならその態度はあなたが活用するものであり

その態度の内にはなんの違いもないからです

 

あなたは内側で聞こえる内なる声だけを信頼して
受け取っているすべてのシンボルを押しやるわけではありません


あなたはなにも定義せず区別しません


この態度は非常にすべてを包みこむものであり
すべてを含むものなんです

なぜならあなたがこの態度を保っているとき
なにひとつこの信頼から除外されないからです


あなたはあらゆるもの あらゆる人々を信頼します


すべてのもの すべての人の言葉
あなたの世界にあらわれるすべてを信頼します

 

なぜならあなたはそれらを
この瞬間
あなたにとっての解決(こたえ)として使われるようにと
スピリットに手渡したからです

 

それがあなたが持っている力です


そしてあなたはそのような形で世界全体にたいする力をもっているのだ
ということを見るようになります

 

あなたがハートに保持する信頼によって
世界は「問題に満ちた世界」であることをやめるのです

 

信頼は自我の私へ与えられるのではありません


信頼は問題に与えられるのではありません


信頼はあなたの中のスピリットに与えられるのであり

 

スピリットは真に見て
真にシンボルを使うこと
真にシンボルを解釈することができます

 

 

そしてそれゆえに

あなたが真実の本当の源を信頼するがゆえに


あなたはこの知覚された世界に
その信頼を延長することができるようになるのです

 

これはパラドックスに聞こえるかもしれませんね

あなたはまず先にスピリットを信頼する必要があり

そうすればそこから
スピリットが知覚するすべてを信頼できるようになります

スピリットによる解釈も同じように信頼できます

しかしこれは全的なものです
完全に全的なものです

 

ですから私は
この態度において
あなた方と共にありたいと思っています


目の前に展開していくことが何であれ
それをあるがままにさせましょう


そしてこの世界に新しい意味を与えましょう

スピリットによって
この心の内の分裂への解決(こたえ)が与えられる手段として世界が使われるように

私たちは
非常に長い長い旅のようなものの終わりに答えが待っている
と期待しながら
長い探求を続ける必要はありません

 

答えは今ここにあるのです

もし私たちが信頼の態度を育てるなら
その中にみつけることになるでしょう


いっしょにいてくれてありがとうございます
また次回お会いしましょう