勉強会映像を見て感じたこと

れいさんから聞いていた、
みんなが画面に勢揃いした回の勉強会映像を見た。

これ見ると、勝ちたいとか悔しいとか惨めな感情や攻撃の思いにさいなまれるのかと思っていた。

でもある種のあきらめのようなものを感じているせいなのか、心は静かで、
むしろなんでかわからないエクスパンションのようなものを感じながら見ていた。
みんなの顔を見ながら、何か素晴らしいことがみんなの内側で起こっているのを感じた。

撮影時の服装とかの具体的な話が出たとき「ああ、本当にオレはここに関わっていないんだな」とチクッと心がいたんだ。


2018年1月にこの学習ブループに参加しはじめてからこれまで、
自分のこの人生の最初からやっていたのと同じ、適応行動の一部という部分が大きかった。
真我なるハートという場に参加しているということが(ファンクションと呼ばれるものにたずさわるのも含め)、
自分にとっては意識的に言語化はしてなくても「このコミュニティに適応してやっていく」という適応行動の一部な部分が大きかった。

外側に適応する必要のある対象(C)があって、そこに適応する私(B)。

この映像を見て、みんなの内側からあふれる何かに触れて、
今こうしてグループから離れて、今一度あらためて、自分が本当に本当に何を望んでるのか?何にFuck Itと言いたいのか?と明確にする必要があると感じた。

映像のなかでののりこさんのコメントに「いやそれは違う」と文句を言いたい、自分は誤解されているので正したい、という思いが湧いたときもあったけど、結局人がどんな言動をとろうとも、自分がどう思われようとも、何を自分は望むのか?
何にFuck itといいたいか?
それを明確にしたいと感じた。

ルーシーとかHang the DJについてしょうこさんたちがシェアしてくれているのを何度か聞かせてもらえたおかげで、今目の前に見ている知覚映像(今は駅のロータリーを見ている)について、エイミーと同じように感じられる部分がある。

本当に自分の決断しだいでこの世界全体はどうにでもなりそうな。

じゃあ自分は何を決断したいのか。
何にFuck Itと言いたいのか。

そこを明確にしたい。