奇跡、恩寵なしではムリ

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(江の島の続き)

島の反対側ではけっこう長い時間、海を見ていました。
美しい景色と波を見ながら、この自分の知覚している世界は何層かのレイヤー状になっていて、ベースには欠乏感があるというイメージを感じていました。

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そろそろ行こう、となって
また島の反対側へと戻る途中も
立ち止まったりしながらいろんな話があったと思います。

「私たちは生まれていないんだよね」
「誰も生まれていないんだよね」
という話が
今までは絵空事だったけど
だんだん感じるようになってるかも、
というようなことをじゅんこさんが話してくれたのを覚えています。

 

そして3人で歩きながら島の入り口の橋のあたりまで来たとき、
れいさんが「手をつないでもらっていいですか?」と言ってくれて、手をつなぎました。
自分が真ん中を歩いていたので、これだと不自然に感じて自然とじゅんこさんとも手をつなぎました。
そうやって江の島と本土をつなぐ橋を3人で手をつないで歩いていくことになりました。

そうやって歩き始めると
自分のなかに強大な恐れ(今思うと)、恥の感覚がやってきました。

最初はそれを言うのにも抵抗がありましたが、
なんとか二人にシェアすると、
じゅんこさんが「詳しくどういう感じか教えてほしい」と言ってくれました。

そのときにいちばん感じていたのは、
強烈な恥でした。

リトリートの場とか「他の人」に見られていなければ
手をつなぐのはOKだし、それどころか自分からつないでほしいと感じるときもあったけど、
こうして外を歩きながら手をつないで歩くことについては、
「彼女でもないのに手をつなぐのは間違っている」
「いい大人が3人で手をつないで歩くのはみっともない」
「恥ずかしい」
といった思考があふれて、
「どう見られるかという恐怖、恥」
でいっぱいになりました。

そのことを二人にシェアさせてもらうと、
シェアする前よりは幾分楽になりました。

でも手をつないで歩きながらずっと、
猛烈な攻撃が自分の中で展開していることに気づいていました。

あんなに激しい攻撃が心のなかにあったなんて、
そしてしかも、
それには普段まったく気づいていなくて、
平静な様子で生きてるなんて。

それがとてもショッキングでした。

そしてこの心のなかの激しい総攻撃についてどうすればいいかわからん!と半ば叫んだとき、
れいさんが「ジーザスにあずけるしかないんだよ」というようなことを言ってくれました。


その後、
晩ご飯を食べに入ったレストランの席についたとき、
「強烈な体験だった」
と二人にシェアさせてもらいました。

あのトリガー(3人で手をつないで歩く)なしでは
こんな激しい攻撃が水面下にあふれてるなんて
到底気づくことはできなかった。

この
攻撃の激しさと、
それに自分で気づくことの不可能さ。

このことに強烈な印象を受けました。

自分で気づくことができない以上、自分では解決できない。
まったく手に負えないと感じました。

そのときじゅんこさんが、
ガイダンスはそのためにあるんだよ、と言ってくれました。

自分では絶対にこのトリガーをさけるように動く。
自分では絶対に気づけない。
(自分では絶対3人で手をつないで歩こうとなんてしなかった。)

だからそのためにガイダンスを聞いて従うんだと。

それ聞いて「こわーーーーー!!」となりました。

これってコンフォートゾーンを超えるために自分がいちばん恥ずかしいと思うことをやるやつの、聖霊版じゃないか・・

聖霊版の違いは、自分でも気づいていないトリガーについて明らかにされること?

ぜんぜんガイダンスについてわかっていなかったと感じました。


恥ずかしくて死んでもやりたくないようなこと。
二人に、そういうのある?と聞きました。

じゅんこさんはラファエルとのインタビューのことを話してくれました。

最強の、強烈な恥を感じたと。
真理について聞かれてるだけなのに。

そのことを聞いて、自分のこの心のなかの総攻撃も、
真理にたいしてのものだという感覚が感じられてきました。

あまりにもひどい総攻撃。
宇宙のひとつやふたつ破壊するのが問題ないくらいの総攻撃。

そのときにフッと湧いたイメージがあって、
子供のころ怪獣の絵を描いたとき、
兄か誰かに「お前は怪獣の体にミサイル付けすぎ」というようなことを言われた記憶があるんです。

(イメージ画像)全身ミサイル怪獣の例

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その「全身ミサイルだらけ」で、宇宙を、真理を、
攻撃しまくっているイメージが湧いてきました。

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↑全身ミサイルの男。これの何億倍何兆倍ものミサイルで総攻撃し続けている。(してるつもりになっている)

そしてその総攻撃は、
その下にある巨大で激しい恥の感覚、無価値感を覆い隠すためにやっている。

だんだん吐き気を感じてきました。

そのときに、じゅんこさんが
「それがあなたではない(と聖霊が言ってる)」
というようなことを言ってくれました。

それがすごくたすけになりました。

絶えず
「それがあなたではありませんよ」
というスピリットの声を聞き続けないとやってられない。

それくらいの、吐きそうになるくらいの
無価値感と恥を隠すための総攻撃をしている。


そしてこれに触れるのをさけるために、
これに触れることになるトリガーを避けるためだけに
人生をつくってきたようにも感じました。

そりゃあ生きるのに不自由を感じるのも当たり前だろう。。。。


これに触れることができたのは、
これまで生きてきたなかで最大の恩寵のように感じました。

それと同時に、
のりこさんが言っていたことが正しかった、
自分は間違っていた、
のりこさんに謝りたいという思いが出てきました。

そして
自分はコースのコの字もわかっていなかった、
超絶勘違い野郎だった、
やっている風に見せていたのが超絶恥ずかしい、
という思いもやってきました。

でもそれ以上に、
ここに触れられたことの恩寵のほうが圧倒的だとも感じました。

本当にありがとうございます。

 

帰りの電車のなかで
「超絶勘違い野郎だった」という話をしたとき、
じゅんこさんが
「それを教えられたことが恩寵なんだね」
「よかったね、と言ってるよ」
というような、スピリットの声を伝えてくれました。

本当によかったです。

無価値感も恥も攻撃も、
意識に上がらない限り癒やされることはない。
そして、意識に上げるのも、癒やされるのも、
一人の力ではまったく不可能なんだ、、
スピリットに全面的にたよるしかないんだ、
ということを、
スピリットのために動かされてくださった
じゅんこさんとれいさんのおかげで
今できる分感じることができたんだと感じています。

本当に、じゅんこさんとれいさんが二人でいっしょにスピリットの通路になって、
完璧なタイミングで手を差し伸べてくれながら、
ここまで導いてくれたように感じました。

本当にありがとうございます。


朝駅で待ち合わせて会ったとき、
「たのしみにしててね〜」と言ってるよ、と
じゅんこさんが伝えてくれた
スピリット、イエスからのメッセージ。

それが本当だったんだということを見せてくださって、ありがとうございます。