エスちゃん、

昨日もありがとうの。

何か大事なことをみんなで話した気がするんやけど、

自分にとっては
あの東京撮影のときにとりつかれたようにゆっとった

「今この瞬間に完全なこたえ(解決)がすでに与えられていることを今、信頼することができる
それが私たちの力じゃ」
っていうフランセスの言葉。

それが一周まわって帰ってきたような感じがするのと、

あとじゅんこさんにやってもらったエクスプレッションセッションのときのこと、

あれがよみがえってきたわ。

それに加えてみんながゆってくれたこと、

「今」やめるだけだ、とか
「今」それをやるだけだ、とか
そういう言葉がいっしょになって、

本当に今この瞬間、自分の決断の力をどこに向けるかが決定的に重要なんじゃっていうことを教えてもろうたように感じとるわ。

 

あと
ラファエルが何度もゆってくれとった、
「この道とかゆるしというのは、自分の、自我の見方を手放して、そのかわりに聖霊の見方を受け入れるっていうそれだけのことじゃ」
っていうこと、
そのことも思い出して
とくにじゅんこさんとのエクスプレッションセッションのときに起こったこととつながる感じがしたのう。


あのときは
激しい怒りについてエクスプレスさせてもろうて、
ただそれをAllowさせるつもりで感じとったんじゃけど、
どうもすっきりせんかったんや。

そしたらちょうどその日に見たフランセスのTrust Is Totalで言われとったことを思い出しての、
「この今感じとる怒りという名の苦痛、これが真実じゃないんじゃとしたら、真実が何なんか知りたい、教えてほしい」
っていうようなことを祈ったんよ。

それは今思うと
「たとえ今この瞬間知覚できてなくても、今すでに完全なこたえ(解決)が与えられていることを信頼する」
っていう同じ映像ん中で言われとったこと、
そのものじゃったような気がするんよ。

そしたらの、
何か「今感じとるこの怒りと呼ばれとるもの」以外の真実があるような感覚がやってきての、
そしたらこの今感じとる怒りと呼ばれとるものは
真実じゃないからこそいくら感じまくっても大丈夫なんじゃ、ぜんぜん問題ないんじゃ、
というとてつもない自由とひろがりを感じ始めたんじゃ。

あれは忘れられんインパクトがあったのう。

ほんまにありがとうの。


昨日ミーティング中に思ったんは、
あのとき起こったんは
怒りという「自分の、自我の見方にもとづいて上がってきたもの」を
「これが真実というわけじゃない」言うて手放して、
そのかわりに真実、聖霊の見方をもとめて信頼して受け入れた、
っていうラファエルが言っとったとおりのことが
プチ起こったんじゃないかということじゃ。

真実をもとめないまま、ただ上がってくる闇を感じてAllowしようとしても
どうしてもその闇以外に真実があると思えんから、
どうしても完全にAllowできずに
ずっとすっきりせんかったんじゃろうの、と。

 

ほんでその「真実がすでに今与えられとることへの信頼」っていうのはの、
目の前のじゅんこさんへの信頼、
エクスプレスのためのスペースを保ってくれとることも含めた
じゅんこさんへの信頼から
派生して共振していったと感じとるんじゃ。

 

真実をもとめる。
今この瞬間すでにそれが与えられていることを
今信頼する。たとえ今自分の目には見えなくても。
目の前の兄弟やあらゆる知覚をとおして
それがすでに与えられとることを
今信頼する。

そのなかで上がってくるあらゆるものに
今目の前に上がってくるものに直面していけばええ。

そういうふうに感じとるんじゃけど、どうなんじゃろうの。

エスちゃん、
今日もできるかぎりあんたにあけわたしたいと思っとるけえ、
よろしくおねがいしますわ。

 

 

 

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▲日本語字幕あり