原因を移し替えて正当化
イエスちゃん、
今朝
「信頼モードに切り替えると、
なぜ自分が惨めで怒ってて悲しいのかについて
自分や他人に対して正当化しようというのがなくなる」
というフランセスの言葉を思い出しとったんじゃ。
「もし解決(こたえ)が今ここにあるのなら
しっぽを追いかけて走り続けるのをやめてください。
あなたが惨めな理由を正当化し続けるのをやめてください。
なぜあなたが怒る必要があるのか、
なぜひどい扱いを受けたのか、
なぜ、なぜ、なぜ、
それらの理由を正当化し続けるのをやめてください。」
(Trust Is Total|フランセス)
youtu.be 日本語字幕つき
信頼モードに切り替わるとき、
原因を移し替えて正当化(cf. 目標をセンターに入れてスイッチ)
をしなくなると。
今朝この話を思い出しながら、
その意味の信頼を
わしは全然できとらんと思ったんじゃ。
なんでかっていうと、
全然移し替えて正当化しよるから。
ああ、フランセスがゆっとった「信頼には強さが必要」って
原因を内側に引き戻す強さってことなんやな、
と、ふと腑に落ちたんじゃ。
これってインストゥルメントフォーピースをやり切る強さとも言えるやんけ。
投影したまま、自分の惨めさを正当化するモードのまま、
何かを信頼しようって話じゃないんやな。
厳密に言うと。
最初はわからんくて、それでもすごい助けになったけど、
ここからはもう少し厳密にいけるんやな。
ありがとうな、気づかせてくれて。
未来や過去、外側に原因があることにして、自分の惨めさを正当化しよるけど、
実は今この瞬間の決断にしか原因がないんじゃっていうとこに引き戻すためのツールがインストゥルメントフォーピースやんな。
そして今この瞬間に
唯一の問題である「分離と不足を信じるっちゅう決断」があって、
その問題への答えは今この瞬間すでに与えられとるよ、
それを信頼できる力が私たちにはあるんよ、
っていう、
それがフランセスの話やったんやな。
そのこたえが今はまったく何なんかわからんくても、
それがすでに与えられとると信頼はできると。
『信頼とは、「まったく何も知らず」かつ「注意深くある」という状態です。』(by フランセス)
ありがとうな。
これを具体的な
例えば映画とか勉強会に感じとることについてもやりたいわ。
わしのファンクションは
わしのおるこの場所
この知覚の場所で、
私たち自身である光を輝かせること、
そのためにその障害物(分離の信念と、その置き換え・正当化と、その派生物)を捧げること、
そのためにガイダンスを尋ねて従うことじゃけえの。
そういう意味で、
動揺が起こる知覚ってのはめっちゃありがたいものなんじゃと感じるわ。
こがいに感じられるんは嬉しいのう。
ありがとうの。
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「原因を移し替えて正当化」
前、合宿でラファエルの形而上学講義があったとき、
彼は「Displace」(場所を置き換える)と「Justify」(正当化)という2つの言葉を強調しとった。
インストゥルメントフォーピースの中にも「Displace」という言葉がでてくる。
心の動揺の原因と解決法を、真の場所(心のなかの、分離と不足を信じるという決断)に見ることを妨げるために、
外側に原因と解決法があると「移し替え」、
それこそが自分が感じる動揺の原因だと「正当化」し続けている。
そうすることで
「私はまだこの分離と不足という問題にとどまっていたい」
「この分離と不足という問題の解決が欲しくない」
と主張し続けていることになる。