神とのコミュニケーション障害①

エスちゃん、
今回のリトリートの最初のセッションのころのこと。(2日)

そんときは、

「からだのこわばりから時折深すぎる呼吸をしてしまって録音の邪魔になる」

という、事前にラファエルに指摘されていた「自分の問題」に意識が向いとったんじゃ。

セッション中、みんなを目の前にしながら、そのからだのこわばりの背後にどんな思考があるんか?耳を傾けていると、
逃げたい、隠れたい、分離したい、壁をつくりたい、
そういう思いがあふれとった。

コミュニケーションから閉じたいって。

コミュニケーションから閉じることで、
神との関係から逃げ続けることができて、
本来の自分から逃げ続けることができて、
わし自身の幻想のなかだけに住み続けることができる。

のりこさんが2日目の夜に話してくれた統合失調症の人の話(妄想のなかであーじゃこーじゃ言いながら暮らしとる)をきいたとき、
自分も同じやと思ったんじゃ。

自分だけの妄想の世界に住みながら、
自分はまともじゃと思っとる。

初日に浮上しとったんは、
自分がいかにコミュニケーションから逃げようとしとんか、
その逃げたい、隠れたい、壁をつくりたいという思いのあらわれを
いかにからだにあらわしとるんか、
そういうことじゃったと思う。

今こうして振り返ると、
初日(それ以前)から最後まで完璧に導かれた流れじゃったんじゃのって感じるわ。