姉ちゃんのこと、ありがとう。

エスちゃん、

姉ちゃんのこと、ありがとう。

あんなふうに受け取ってもらえるとは思っても見ませんでした。

ありがとう。

エスちゃん、
台湾で住んどる姉ちゃんは
ここ最近ずっと夫婦関係で大きな悩みを抱えとって、
かなりどうしようもない身動きのとれん苦痛に満ちた状況まで追い込まれとって、
そういうわけでたまに時間をとって話を聞いたり相談にのったりしてきよった。

先日もけっこうダメージを受ける件があったとかで、
時間をとって話をきかせてもろうたんじゃ。

姉ちゃんはいわゆるスピリチュアルなんか全然まったく接点もない人じゃけえ
これまではできるだけ通じそうな言葉や概念や自分の経験の話だけを使って話をしてきたんじゃけど、
今回はもうそれも限界というか、
今自分がみたいと思っとる世界の見方についてシェアせざるをえんようになってきた。

でもなかなか踏み切れなくて、どうしたもんかの・・??
としばらく沈黙して尋ねてみよったら、
どうもGOっちゅう感じじゃった。

ほいでおもむろに話し始めてみたんじゃけど、
なんか自分でしゃべっとるんかようわからんような、
絶妙な言葉づかいがされていったように感じたんじゃ。

聖霊とかの言葉はいっさい使わんかったんじゃけど、
わしらはこの世界のなかに偶然生み出されて世界からの影響を被る被害者じゃのうて、
わしら自身の心のなかに先に悲しみとか怒りとかがあって、
それを正当化するために外側の事象を映し出しとるんじゃ、
っていう話とか、

元々ひとつのこころで愛しかないんじゃけど、
どういうわけか愛・平安以外のそういう怒りとか悲しみを自分で作りだしてしもうて
それが自分の責任じゃということに耐えれんからこういうふうに全宇宙を心から映し出しとって、
でも心のなかにはそのひとつの愛しかなかったってことを覚えとる部分があって、
その部分がこの知覚されとる世界、わしら自身で映し出しとる世界のあらゆるものを使って、
もともとの平安とか愛のほうへ戻れるように導いてくれとるんよ、
という話をしたと思う。

姉ちゃんは夫婦の問題が持ち上がってから、
台湾の友達に教えてもらって
台湾の廟(みゃお。お参りして、占いのような、悩みの答えを授けてもらえる場所で、台湾の人の生活に深く浸透している)にお参りするようになっとった。

それがとても心のたすけになっとるっていうことを前から言いよったんじゃけど、
「もともとひとつの愛で平安しかないと覚えとる心の部分(聖霊)」は、そういう、それぞれの人が心に受け入れやすいものを何でも使って、平安へ戻れるように導いてくれるんよ、という話をしたときに、すごく腑に落ちたようすじゃった。

「廟でお参りしたときに、〇〇っていう声が聞こえたりしたんよ。そういうことなんじゃね」って。


そしてこれは自分でもまったく期待しとらんかったんじゃけど、
話をしたあとに
「この話をきけてすごーーーくラクになった!
さっきまで300%悲愴感バリバリだったけど。ありがとう!」
と、姉ちゃんが何かをこころで受け取ってくれたことじゃった。

ほんまにわしとか姉ちゃんという個人がどうとかじゃない、
なにか大きいものの力がわしと姉ちゃんという形に見える関係のなかで働いとんじゃの、、という感じがしよった。

エスちゃん、わしら全員を、その人その人が受け入れやすいかたちで導いてくれてありがとうの。