無知を受け入れる。未来と過去と今。
イエスちゃん、よろしくお願いします。
この前リビングミラクルズのオンラインリトリートのスプリーカーを聞いていると、そのなかでデイビッドとフランセスが
「私たちは自分では、何が幸せかについて完全に無知だ」ということについて話していた。
そしてその無知さを受け入れて、幸せについて完全にガイダンスについていくとき、それはよろこびに満ちたものになるんだというようなことも話していた。
それを聞いて、
Trust is Total(フランセスのYouTube)
のことを思い出した。
welcomejwithintention.hatenablog.com
もうすでにすべて解決しているということ。
今この瞬間、自分が幸せについてまったく無知なんだと受け入れて、そうだとしても完全なこたえはすでに与えられてあると信頼すること。
救いを求め続ける長い旅路を歩いていく必要がある、そういうものではないんです。今この瞬間への信頼に心をひらいていくとそれがわかってきますよ、という話。
Trust is Total。
信頼は全的なもの。
あれは信頼できるけどこれは信頼できんとか、そういうのじゃないという話。
それをふまえて、自分の心は今どうなのかに心を向ける。
すると、
自動的なモードでいるとき
まず「未来への不安」にこころを占領させている、ということにありありと気づき始めた。
仕事について、経済面について、死について。
そして「過去へのジャッジ」にもこころを占領させている。
わしはこういうもんじゃから、人はこういうもんじゃから、と。
無限に開かれた「今」から自分を締め出して、未来への不安と過去へのジャッジに縛り付けているように感じられる。
この、こころを未来と過去のことに占領させるっていう行為はどこから来てるんだろう???
これをやっている根っこには、やっぱり強烈な自己憎悪があるんじゃと感じる。
すでに今この瞬間完全に与えられている愛・天国から自分を除外したいという激しい欲求。
その下には愛・天国を自分が破壊してしまったという激しい思い込みがある。
最近のできごとを経て、こういうことがほんまに心のなかにあるんじゃと感じられてきとる。
そんな今、
Trust is Totalがまた新しい角度で入ってきとると感じる。
今この瞬間すでにあたえられている完全な答え、愛・天国がすでに与えられていることを信頼すること、
そこから離れたいと思う「原因」にしとる思い込みとそれにまつわる激しい自己憎悪に気づくこと、
その「原因」がほんまは起こってないんじゃと教えてもらうこと。
そこに心を向けたい。
自分のこころのなかで起こっとることをすべて認めながら、
今この瞬間すでにあたえられとる解決を信頼したい。
その解決について自分自身はまったく無知だとしても、それを信頼するほうへ心を向けたい。
イエスちゃん、どうかそうあれるように助けて下さい。