変わらない何か
イエス、
今まで自分の過去のブログを見る気にはなれませんでした。
なぜかというと、以前の自分は進歩していなくて、だんだんと今に向かって進歩してきていて、今が最善の状態だから、昔のブログは今見るに値しない。
そういうふうに捉えていたからです。
ところがこの前、
スマホ版はてなブログの記事の下の「関連記事」のところに表示される過去記事をどんどんたどって読むということがありました。
そのときに感じたのは、今よりずっと進歩していないと判断していた時期の記事を読んでみても、そこには今この瞬間も響くものがたしかに背後に感じられるということでした。
そしてテネットをとおして感じさせてもらえたみたいに、
けっして時間軸にそって直線上に進歩していくようなものではないんだ、
そういう「進歩していく自分」というのがいるわけではないんだ、
というのを感じさせてもらえました。
「進歩していく自分」みたいな者がいるのではなくて、
いつもどんな瞬間も変わらずある本物の何かがあって、
どんな瞬間もそこに心をひらくかだけなんだということ。
そしてこれはブログを書き始めてからの時間にとどまらず、
私の記憶にあるすべての時間においてそうなんだということ。
自分が遠い昔だと思っていることでも、今の出来事と同じようにゆるすことができる。
その遠い昔の記憶をとおして、
今と同じように、つねに存在する本物の何かに開いていくことができる。
そんなことを感じさせてもらえました。
私がどんなときも、どんな経験をしているように見えても、そこに常に変わらずある本物の何かに心を開いていくことができますように。
ありがとうございます。