全体性が取り戻されますように
イエス、
今回ナンパについて学び始めてから、
それが非常にたすけになっています。
やっぱり今の自己概念にとっては、
強烈にもってる信念や自己概念を浮上させやすい題材が目白押しって感じ。
昨日はプロの方の「アプローチの段階はケンカみたいなもの」という言葉がすごく響いてきた。
そして自分はというと、そういうケンカみたいな、ぶつかり合いみたいのよう見えることをとことん避けるためにつくってきた自己概念で生きてきたんだ・・・ということが浮上してきた。
そのことを認めて、仮に自分がそうやってさけてきたケンカのようなぶつかり合いを見知らぬ人といきなり始めたとしたらどうなるんだろう?と想像して、それもゆるされるんだと想像するのはいい感じ、広がる感じがした。
そしてなんか、いきものとしてそのままあるがままでよくて、そのままで愛されているような感覚をおぼえた。
ナンパという、実地の人との関わり合いが絡んでくるなかでのこの認識と、
今のレッスン(L122 赦しが私が望むすべてを与えてくれる)と完璧に相まって、
自分という人間を押さえつけてたなんらかのものが外れかけてきてるように感じる。
本当にちょっと前までは想像もできなかった未知な感じを感じ始めている。
たんなる概念でしかなかった自分を手放し始めると、こんなにも世界や自分の認識がかわるのかと。
ぜんぜんまだ入り口の入り口だと思うけど、それでもこんなにも未知に開いていくことができそうに感じられるのはありがたい。
ちょっと前に
「私が動揺するあらゆる事象を使って、聖霊が教えてくれる未知に心を開いていけますように。」
と祈った、そのこたえが着実に与えられてきてるんですね。
ありがとうございます。