心の外側に原因と解決策を見ようとしている。

エスさん、
朝目が覚めると、この最近あらわになってきている世界のディストピアっぷりを思い出して、
「ああ、あれは夢じゃなかったんか・・」
と絶望しました。

ほんまにこんなディストピアな世界に生きることになるとは思ってなかった。

でも外がこんなディストピアになってきたおかげで(?)、
もはや心の内側に向かわざるをえなくなったのはいいことなんだろう。

心の内側とは何なのか、心の外側とは何なのか、
心の外側に原因と結果、解決策を見てるとはどういうことなのか、
そういうのを否応無しにみていかざるをえなくなる。

インストゥルメントフォーピースをやらざるを得ない。

 

「自我という歪んだ考え方・見方を通して、
私は動揺の原因と解決策が、自分の心の外側にあると知覚している」


「自分の心の外側」。

「この肉体」がどうなるかっていうのも「心の外側」のことなんやな。

たとえばワクチンを強制されて家畜のように管理されるようになることについて心配したり思い悩んで、「そういう可能性がなくなれば救われる」と考えるのも、「自分の心の外側」に問題の原因と結果、解決策を見ようとしている一部。


「自分が今この瞬間完全な幸せを感じていないこと」の原因と解決策を、
真の原因とは別のところに見ようとしている。

その企図のなかに、「自分はこの肉体として存在しとるように見えること」も含まれとるんか。。。

それすらも「心の外側」なんか。。。

 

じゃけえ最終的には、

「毒入りICチップ入ワクチンなんか射たれたくない」という欲求や、

シンガポールみたいなマスクしてない人発見用AI犬ロボットにみつかって、オーストラリアであったみたいにボコボコにされるようなことが起こってほしくない」という欲求も、自発的に手放す必要があるんじゃろうのう。


なんか今まで
「私の心」と「この肉体で生きとること」をあまりにも同一視してきたので、
「自分がこの肉体として存在しているように見えること」すらも
「心の外側に原因と結果を見ようとする企ての一部」なんじゃと認識するのは、
すごく練習がいるように感じる。

でも今朝初めて、ほんまにそうなんじゃ、という感覚がすこし入ってきた。

この「身体で生きとる自分」全部が心の外側にあって、
原因と結果をぼやけさせようとする企ての一部じゃということ。

 


そして仮にこの「心の外側の解決策」がうまくいったとしても、
それは私に真の平安をもたらすか???
というのを想像してみると、
それが決してありえないとわかる。

まやかしの原因と解決策やから。

 

じゃけえ(じゃあ)そこからどうするんか。

 

聖霊に自分のかわりに決断してもらう。」

という話がコースにあったのを思い出した。

エス、それでええんですかね?

 

検索すると5章のセクション7が出てきた。

インストゥルメントフォーピースをやっとるときの感じに符号する感覚を覚える。

「決断は難しいものではありえない。

もしあなたが、自分が完全に喜びに満ちていないときには
すでに自分は喜ばないと決断したに違いないと気づくなら、
決断が難しくないということは明白である。

したがって、取り消しのための最初の一歩は、
自分は積極的に誤った決断をしたが、
同じく積極的に別の決断ができると認識することである。

このことに関しては、自分自身に対して断固とした態度で臨みなさい。

そして、取り消しのプロセスを十分に自覚し続けていなさい。」
(奇跡講座5章7-6-1)

 

「このことに関しては、自分自身に対して断固とした態度で臨みなさい。」

という言葉に思わず笑みがもれた。

はい!わかりました!やっぱそうなんすね!?という感じ。

私はこのことについて、断固とした態度で臨みたい。


自分の心が完全なよろこびに満ちていないとき、
その原因と解決策を心の外側にみようとしていることに気が付きたい。
その「原因と解決策」がまやかしであって、
真の原因は自分の決断にあるんだとみたい。
そして別の決断ができるんだと自分の心に教えたい。


「あなたの役割は単に、
誤りが犯された地点まで自分の思考を戻し、
それを平安のうちに贖罪に引き渡すことだけである。

あなたからのごくわずかな招きに対してでも
聖霊は充分に応えてくれるということを思い出しながら、
できる限り誠実に、自分自身に次のように言いなさい。


私は心安らかではないので、誤って決断したに違いない。

私は自分でこの決断を下したが、
別な決断をすることもできる。

私は心安らかでいたいので、別な決断をしたい。

私は罪悪感を感じません。

なぜなら聖霊に任しさえすれば、
私の間違った決断の結果はすべて取り消してもらえるからです。


私は、聖霊に私のために神を選ぶ決断をしてもらい、
私の間違った決断の結果を取り消してもらうことを選択する。」

(奇跡講座5章7-6-5)

 

断固とした態度で臨みたい。

自分の心が完全なよろこびに満ちていないとき、
その原因と解決策を心の外側にみようとする動きが常にあることに気が付きたい。

その「原因と解決策」がまやかしであって、
真の原因は自分の決断にあるんだとみたい。

その決断とは、
「神が創造したひとりに対して、愛の欠如した反応をする」という決断。その決断に罪を知覚し、攻撃されることを予期して防衛的になっている。(奇跡講座5章7-5-1)

そして別の決断ができることを、
聖霊に自分のために決断をしてもらうことを選べるんだと自分に教えたいです。