レッスン131からのインスピレーション
イエスさん、
今日からレッスン131に入りました。
朝読んだとき、あるところでふっと
「はっ、こんなこと考えていいんだ。。」
「こんな思考をしてもOKだったの・・?」
みたいにハッとした箇所があった。
なんか、ずーっと一方向だけを見とって、そっちにぜんぜん気づかんかったような感覚。
「起こってるように見えること」ばっか見とって、
そのなかで、つまり自分で作り出した世界のなかだけで
なんとかせんといけんと思っとって、
そんな思考があり得るなんてこれっぽっちも思いもよらんかったような。
そういう感じの驚きがあった。
その感覚を絵のようにしてみたいと思ってやってみた。
そんなこと考えてよかったんだ。。。
自分が作り出した世界と、それにそった「考え方」のなかで解決をみつける必要はなかったんだ。。
そういえば、
「あなたはあなたがつくったものについて責任を負う必要はない」
というような話があったっけ、、、と思った。
そうか、そういうことか。
「自分のつくってしもうた世界に責任があるけえ、この世界をつくった考え方、この世界の内側の考え方に沿って、これをどうにかせんといけん。それがわしの責任じゃ」
というふうに、
この
間違いにもとづいて作った世界に責任を感じて執着しとった?しがみついとった?
そいういう感じがした。
そういう責任はいらんっていうことか。
そういう意味で、
「あなたはあたなの過ちにたいして責任はありません」
っちゅうことじゃったんか。
たぶんこれフランセスのいつかのYouTubeで言われとったような気がする。
ーーーこの日書いとったメモーーー
今ここにある愛を恐ろしいものだと思い込んで、そこから逃げるために過去未来、時間、投影を作り出した。
たった一人ぼっちの世界、これを手放したら完全に全てを失うと思ってた。
でも別の世界は私が一人で作り出したものではなかった。一人ではなかった。^_^
なんか聖霊というツールを使って自分が訂正する責任があるってやっとったみたい。
そういう責任はない。そこに責任はない。
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イエスさん、
わたしは「自分で作り出したのとは違った種類の思考」についてもっと知りたい。
それに、自分がもとめとる世界が神が創造したもので、自分がつくったもんじゃないんじゃっていうことも、
深く納得していきたい。
アンド、
自分が考えたい想念が、自分ひとりのものじゃなくて神といっしょの想念じゃということももっと深く知りたい。
教えてちょうだいね。
(追記)
フランセスの動画 「I need do nothing」でした。
「私たちはエラー(間違い)についての責任はありません。
私たちには訂正を受け入れるという責任があります。」
今見直してみると、2年前に見たときと入り方が違う。
ジーザス、ありがとうございます。