世界を縛りつけていることと、鬱(うつ)

今朝目が覚めたとき、
今日一日中、
ジーザスを招いて、彼と同じように感じてもいいんだ、、、よね。。。
という思考がやってきて、

ジーザスが感じているであろう感覚と
自分の今の感覚の違いというのがつきつけられて、

(そういえば昨日「ジーザスは殺人・管理ワクチンの接種が始まったってニュース聞いても動揺したりしないよな・・と妙に感じ入ったときがあった)

もしかして、
私の心は
「自分がうつだと気づかないうつ」のように、
実は気づかないうちに悲しみに沈んでいる状態がデフォルト(標準設定)になっていた。。。のじゃないか。

と感じ始めた。


「とくに何も感じてない」というとき、本当はかなり深いうつ状態にあったんじゃないだろうか・・という感覚。

こんなもんじゃない。心の平安というのは。
もっともっと素晴らしいものを求めていいんだよ、
しかもそれがあなたの本当のデフォルト状態なんだよ、

といわれているような気がした。


そのデフォルト状態をわからなくさせている数々のブロックをとおして
この世界を見ているんやな。

自分が何者かとか、世界がどんなところだとか、人々が何者だとか。

そうやって世界と自分を縛り続けている。

 



一昨日から入ったレッスン132に、
最近向き合っていた「この世界のこと」
(女性のこととか、特定の人への投影のこととか、世界情勢やその中で踊らされてるように見える人々のこととか、それをコントロールしている人々のこととか)
にまつわって、
また深く感じるものがあった。

レッスン132

『これまで「世界」だと思ってきたすべてから、私は世界を解き放つ』



以下、レッスン132からのメモ。

私の信念だけが、
この世界を、この世界のなかで知覚するあらゆる人を
鎖につないでいる。

私が真の自己を認識することだけが、この世界の救い、この世界で知覚するあらゆる人の救いとなる。


(人への投影を維持してるとしたら、
それによって
自分だけでなくその人をも縛ってるんか・・・。

本当に投影すんのやめたいと思えてきた。)

 


私の信念はそれほどに強力で、それが世界や人々を縛っている。
私の抱く考えにはそれほどの力がある。

それらの「考えの源」が疑問視されたときに初めて、
ついに「自由への望み」が私にやってくる。

今までのところ、
私のあらゆる考え、考え方の源は、
自由の反対、私や世界を縛りつけるものになっていた。

 

想念の源が変化したとき、
これまでに考えたことから過去を自由にし、
見つけたくないものを探し求めよという往古の思考、往古の恐れから
未来を自由にすることになる。

こうして過去と未来を自由にしたとき、時間は今だけになり、
その今の中で世界が解放される。

 

『あなたは自分のすべての恐れ、疑念や惨めさ、苦痛や涙、
そしてあらゆる悲しみを世界に押しつけて、
世界を奴隷と化してきたのであり、
そうして世界をあなたの信念の囚人とし続けている。』


この「あなたが世界を奴隷と化してきた」という部分を読んだとき、
自分が最近恐れていたことで、

コロナを利用して世界中の人々の自由を制限し管理支配しようとする動きについて
「人々を奴隷にしようとしているものたちや、喜んで奴隷になりにいってるように見えるアホな人たち」に動揺する、ということがあったのだけど、そのことを思い出した。

え!?ああ!?実際には私が「世界を奴隷と化してきた」のか!??
私が自分の信念によって世界全部を囚人とし続けてきたのか!??って。


世界そのものに意味はない。

私が世界に見ているものは、すべて私の願望であり、
世界をみて「これは本物だ」と思えるように
演じられている。

「自分でこんな世界つくった覚えはない。
気づいたら、すでに出来上がってたこの世界に気がすすまないのに出現してたんだ」
と不満を持ってるかもしれないけど、

実際のところ、
私はここにきたとき、
まさに自分が期待していた通りのものを見出した。

 

私の願望から離れて世界は存在しない。
そしてこのことの中に、
私の究極の解放がある。

自分が何を見たいかについて自分の心を変えれば、
それにつれて世界の一切が必ず変化する。
想念はその源を離れない。

世界は実在しない。
There is no world.


癒やしは
「世界は実在しない」と学ぶ用意ができていて、
そのレッスンを今受け入れることができる人々に
与えられたギフトだ。


『今日の主題概念が真実なのは、
世界は実在しないからである。

もし世界が本当にあなた自身の想像の産物であるのなら、
あなたは
世界にこうした外観を与えたすべての考えを変えるだけで、

自分がこれまで「世界」だと思ってきた一切から、
世界を解放することができる。』

 

神が創造したままのわたしにとって、
苦しむことが可能な場所はどこにも存在せず、
私の永遠性に変化をもたらすような時間も存在しない。

私が神が創造したままであるのなら、
どうして時間と空間の世界が存在できるだろうか??


『世界をあらゆる種類の苦痛から自由にするということは、
ただあなたが自分自身についての心を変えるということにほかならない。』


逆にいうと
内側にある
私自身についての考え、私自身についての心が、
世界にあらゆる種類の苦痛があるように見えている要因。。。


だからこそ、
私が内側でどう感じているのか、
その感じている感覚の背後には何があるのか、
どんな考えや信念があるのか、

そういうのを見ていく必要があるのか・・・。

 

 


この世界は私の想念によって作り出された。
だから、世界を自由にするのも私の想念だ。

世界を自由にすることによって、
私は自分独自の想念から離れ、
神と共有する想念を知ることになる。

世界は実在しない。

『自分は死にゆく世界の上にほんのつかの間置かれた影法師ではない
と、明言しなさい。

自分の心を解放するなら、
あなたは解放された世界を見るだろう。』


私は、世界を自分の幻想のひとつひとつから自由にしたい。
それにより、私自身が自由になれるから。


『神が創造したままの私は、
自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放つ。

世界がリアルではないからこそ私がリアルなのであり、私は自分自身のリアリティを知りたいのだから。』

 

世界がリアルでないからこそ、神に創造されたままの私がリアル。

ジーザス、
私は世界を
私の内側の信念からきている投影から解き放ちたいです。

そしてデフォルト(標準設定)のようになっていた鬱(うつ)ではなく、
完全な自由というよろこびを味わいたい。

どうか助けてください。

よろしくお願いします。