自分自身が「完全に狂った、ありえない、キチガイじみた」決断をしてる

エス
先日、マスクをしないことについて、
周りのマスクをしている人たちのマスクをしない自分への目線がますます厳しくなっているという知覚について、感じるところがありました。

その状況で感じる孤立感、孤立無援感みたいなものは、
このまえのTちゃんのセッション以来取り組んでいる、
小さい頃の「凍らせた瞬間」について感じていた内容と驚くほど似た感覚だったことに気づいた。

ああ、こんなにおんなじことを感じてるんやな、と。

そして平安へのツールのなかの

「自我という歪んだ見方・考え方を通して、私は自分の内側にあるもの、動揺の原因とその解決方法を外側にあると見ようとしている」

というのを心に突きつけるしかないような感じになった。

もう、外側を見ても地獄しかない。外側に向かってどのようにしようとも解決できないやつ。

心の中心に戻るしかないんだろう。


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【平安へのツールの前準備ワーク】

(状況)
マスクするのが人として当たり前で正しいことだとほとんどの人が信じていて、
自分が評価してほしいと思う、受け入れてほしいと思う対象であるきれいな女性や男女のカップル、毎日通うカフェのスタッフたちもそのように信じていて、ほとんどの人が
マスクをしていない自分を「人としてありえない」「非常識のおかしなキチガイだ」という目でみてくるという知覚


(自分にとってどういう状況か)
自分を受け入れてほしい、受け入れる眼差しを与えてほしいと思っている人たちが、自分をキチガイのような目でみてきて、受け入れるとか受け入れない以前の問題でまったく人として見てもらえてないような状況。

 

(感情)
・絶望
・恐怖
・孤立感
・孤独感
・孤立無援感
・怒り
・憎しみ
・復讐心
・悲しみ

奥にある感情は、

・絶叫的憎しみと怒り
・絶望的悲しみ


その感情をずっと持ち続けたい?

→いいえ


このような感情を感じる理由は、この状況においてこう考え信じてるから。

Bad:「こうなってしまったら嫌だ、それを回避すべきだ、なりませんように」最悪の想定

・みんなが支配者のコントロールされるがままに従っていくことで、意志の疎通ができなくなること
・ヒステリーをおこした人たちに集中攻撃され、なぐられ、半殺しにされること
・人として社会的に殺されること
・あらゆる人からキチガイだと見られること


Good:「こうなってほしい、こうなれば私は動揺せずに幸せだ」

・みんなが気づいてマスクを外してくれて世界も元通りになって、私もふつうに受け入れられるようになること


今までこれらの最悪、最善の想定について
「自分は正しく間違っていない」と信じ、主張を変える気がありませんでした。

でも今、客観的に冷静に見てみたいと思う。


これらの必要や条件づけも、いつでも変化する可能性のあるグッドもバッドも、
私の心の永遠の平安をもたらさないのはは当然だ、ということについて同意したいですか?


はい。

 

 

 


【平安へのツール】

真理は私の欲求をとおしてわたしのなかに取り戻される。
それは、私が真理以外のなにかを欲することによって失われたように見えているからだ。


①私が、
マスクするのが人として当たり前で正しいことだとほとんどの人が信じていて、
自分が評価してほしいと思う、受け入れてほしいと思う対象であるきれいな女性や男女のカップル、毎日通うカフェのスタッフたちもそのように信じていて、ほとんどの人が
マスクをしていない自分を「人としてありえない」「非常識のおかしな基地がいだ」という目でみてくるという知覚

について考えるとき、

・絶望
・恐怖
・孤立感
・孤独感
・孤立無援感
・怒り
・憎しみ
・復讐心
・悲しみ

さらにその奥で

・絶叫的憎しみと怒り
・絶望的悲しみ

を感じる。

なぜなら、
目覚めないくせに人を攻撃してくるほとんどのマスクをつけた人たち
が責められるべきであるし、

未来に、
・みんなが支配者のコントロールされるがままに従っていくことで、意志の疎通ができなくなること
・ヒステリーをおこした人たちに集中攻撃され、なぐられ、半殺しにされること
・人として社会的に殺されること
・あらゆる人からキチガイだと見られること

が起こるのを恐れているからです。


これらのことは、
狂っている他者が存在し、私はその人々から分離していて攻撃され糾弾される肉体であることについて正しいことを証明しています。


私がもとめ、期待していたのは、
みんなが気づいてマスクを外してくれて世界も元通りになって、私もふつうに受け入れられるようになることです。

 

私は今の感情、

・絶望
・恐怖
・孤立感
・孤独感
・孤立無援感
・怒り
・憎しみ
・復讐心
・悲しみ

さらにその奥で感じている

・絶叫的憎しみと怒り
・絶望的悲しみ


を望みません。

この感情を生み出すことになっている、自分の内側を見たい。

これらの感情が外側の要因によって受動的に引き起こされているのではなく、
私自身の決断と信念から来ているということを見たい。

そして自分自身とすべての兄弟を縛っている自分自身の決断と信念という鎖から自由になりたい。



 

③私は以下の事象について、自分が演じている役割を罪悪感なしにみることができることを学びたい。


マスクするのが人として当たり前で正しいことだとほとんどの人が信じていて、
自分が評価してほしいと思う、受け入れてほしいと思う対象であるきれいな女性や男女のカップル、毎日通うカフェのスタッフたちもそのように信じていて、ほとんどの人が
マスクをしていない自分を「人としてありえない」「非常識のおかしなキチガイだ」という目でみてくるという知覚

について考えるとき、

・絶望
・恐怖
・孤立感
・孤独感
・孤立無援感
・怒り
・憎しみ
・復讐心
・悲しみ

さらにその奥で

・絶叫的憎しみと怒り
・絶望的悲しみ

を感じる。

なぜなら、
目覚めないくせに人を攻撃してくるほとんどのマスクをつけた人たち
が責められるべきであるし、

未来に、
・みんなが支配者のコントロールされるがままに従っていくことで、意志の疎通ができなくなること
・ヒステリーをおこした人たちに集中攻撃され、なぐられ、半殺しにされること
・人として社会的に殺されること
・あらゆる人からキチガイだと見られること

が起こるのを恐れているからです。

これらのことは、
狂っている他者が存在し、私はその人々から分離していて攻撃され糾弾される肉体であることについて正しいことを証明しています。

 

 

④この知覚全般について、私は自分の見方考え方が正しくありたい、という欲求を手放します。

私はそのかわりに幸せであることを望む。

私は自分の感じる動揺について、自我のゆがんだフィルターをとおして
その原因と解決方法が外側の世界や人々にあると知覚している。

これは投影であり、この投影は本当にリアルに見える。
なぜならそのリアルさによって、内側を見るのを妨げることがその目的だから。


 

⑤もし私の動揺の原因と解決策が心の外側にあるのだとしたら、
私は自分の心の状態について実に無力ということになる。

私の投影(内側に見たくないものを外側に見ること)が、私が無力さを感じる理由であり、

目覚めないくせに人を攻撃してくるほとんどのマスクをつけた人たちや、

未来に、
・みんなが支配者のコントロールされるがままに従っていくことで、意志の疎通ができなくなること
・ヒステリーをおこした人たちに集中攻撃され、なぐられ、半殺しにされること
・人として社会的に殺されること
・あらゆる人からキチガイだと見られること

が起こるのを恐れていることが、
私の動揺の原因に見える理由なんです。

 


⑥私が見ているこれらの知覚すべては、

「狂っている他者が存在し、私はその人々から分離していて攻撃され糾弾される肉体である」

という私が持っている信念の結果としてあらわれたものです。

 

⑦私が誰かや何かに対して動揺するのは、
その誰かや何かが、私が内側にみることを拒絶して気づかないようにしたい信念を映し出しているときだけです。

私がこの世界の何かを責めたり恐れたりするとき、それは
動揺とその解決方法をあるがままに(心の中の決断として)見ることを妨げるためであり、
その代わりに内側を見ないようにするために作り上げた自己概念、他者や世界のイメージを維持するためなのです。

 

(自分自身が「狂った決断」をして「とち狂ったことを信じきっている」のか。。。。それで自分で勝手に超絶動揺しまくっている。

その責任をなすりつけるために「外側にいるように見える人々」を映し出してそこに投影してるのか・・・。

自分がどれくらい「完全に狂った、ありえない、キチガイじみた」決断をしてるのか、認識させてほしい。)

 


この心のトリックが、罪悪感や恐れの責任をどこか別の場所に移し替えるように見えたとしても、実際には動揺を維持し続けることになります。

自己概念、他者、世界のイメージを責めたり恐れたりすることは、
自分を肉体と肉体の世界に縛りつけ、本当の私自身であるスピリチュアルな抽象性を否定することになります。

すべての動揺を手放す最初のステップとして、
自分の外側に在ると思ってきたことを、自分の心の内側に見ることを私は望みます。


「マスクするのが人として当たり前で正しいことだとほとんどの人が信じていて、
自分が評価してほしいと思う、受け入れてほしいと思う対象であるきれいな女性や男女のカップル、毎日通うカフェのスタッフたちもそのように信じていて、ほとんどの人が
マスクをしていない自分を「人としてありえない」「非常識のおかしなキチガイだ」という目でみてくるという知覚」

について動揺することは、

私の罪悪感と恐れの原因が、

「目覚めないくせに人を攻撃してくるほとんどのマスクをつけた人たち」や、

「未来に、
・みんなが支配者のコントロールされるがままに従っていくことで、意志の疎通ができなくなること
・ヒステリーをおこした人たちに集中攻撃され、なぐられ、半殺しにされること
・人として社会的に殺されること
・あらゆる人からキチガイだと見られること
が起こるを怖れること」

であることにしようとする、ひとつの企てにすぎません。

 

⑧「マスクするのが人として当たり前で正しいことだとほとんどの人が信じていて、
自分が評価してほしいと思う、受け入れてほしいと思う対象であるきれいな女性や男女のカップル、毎日通うカフェのスタッフたちもそのように信じていて、ほとんどの人が
マスクをしていない自分を「人としてありえない」「非常識のおかしな基地がいだ」という目でみてくるという知覚」

が、私が求めることに反するとき、
この知覚にたいして動揺するのは意味があってもっともなことのように思えます。

私が求め、期待している(いた)のは、

「みんなが気づいてマスクを外してくれて世界も元通りになって、私もふつうに受け入れられるようになること」です。

 

私はまだ、
「狂っている他者が存在し、私はその人々から分離していて攻撃され糾弾される肉体である」と信じているので、

私が幸せになり、完全になり、平安になるためには、
「みんなが気づいてマスクを外してくれて世界も元通りになって、私もふつうに受け入れられるようになること」
が必要だと考えています。


この不足の信念と、それに付随する渇望・期待・欲求を持ち続けることは、
私にとって心の平安よりも重要なことだろうか?


いいえ、私はこの不足の信念と渇望を持ち続けるよりも、真実を知り、真実を生きたい。

 

⑨この世界のすべての事象はひとつとなって、私の最善のために働いてくれています。
私が自分の動揺の原因だと思っていたものは、まったくそうではありませんでした。

外側の知覚に動揺するという選択は、その真の原因である、今この瞬間心のなかでくだされている「分離・不足を信じるという決断」を見ないという選択なんです。

これは動揺の原因が過去や未来にあり、現在はその結果であって無力であると見ようとする企てなんです。

 

⑩今、私が求めるのは平安です。

私は自分にとってただひとつの目的である平安とふたたびつながるために、
「狂っている他者が存在し、私はその人々から分離していて攻撃され糾弾される肉体である」
という信念に疑問を呈し、

「みんなが気づいてマスクを外してくれて世界も元通りになって、私もふつうに受け入れられるようになること」
という欲求を手放します。

 

⑪心の平安とは、今、感謝のなかで下すことのできる決断です。
罪悪感や結果への恐れがありえるように見えたのは、
私が過去や未来に原因があるという信念、不足の信念にすがりつくと決めたからでした。

私は自分が過去・未来に与えた意味を手放し、
解放されていて無垢である「今」にたいして心を開きます。


⑫私は、今までこの世界にあると思ってきた私の動揺の原因が、心のなかの疑われることのなかった信念と決断であったと認識できたことに感謝します。

私は私自身の心の平安のために、もう一度決断しました。

 

 

 

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マスコミが伝える内容とか、それを信じる人々とか、世界規模ですすめられているように見える計画とか、完全に狂ってるとしか思えんかった。

 

でもこれは実は、私自身がいかに「ありえんような完全に狂った決断」をしたのかっていうことを見せてくれとることなんかもしれん・・・と初めて思えたような気がします。

 

自分がいかに完全に狂った決断をしてそれを信じきっとるのか、それを認識させてください。

そしてその訂正を受け入れることができるように助けてください。

 

エス、どうかお願いします。