私の防衛が隠していたもの

エス、レッスン135も初めてかのように沁み込むのを感じさせてもらえています。

やっぱり外側の世界が狂っていて救いがないという知覚があるので、実践にとってはこれ以上ない環境のように感じていて、だからレッスンのことも深く入ってくるのかなと感じてます。

ありがとう。

lesson 135
If I defend myself I am attacked
私が防衛するなら、私は攻撃されている。

最初はとくに、
「私のdefenselessness(無防備さ、防衛のなさ)において、私の防衛が隠していたものを見ることができる、学ぶことができる」
というところが深くひびいてきた。

ああ、defenselessness(無防備さ、防衛のなさ)によって、「私のdefense(防衛)が隠していたものを見れる」のか〜!と、
なんかホッとするような、defenselessness(無防備さ、防衛のなさ)のなかに未知のまま飛び込んでいくことができるような感覚があった。

なぜだかわからないけど、
「私の防衛が隠していたもの」が、何か未知の巨大なすごくいいもののように感じられて、

私のdefense(防衛)が隠していたものを見たい、知りたい!という感じで、未知のdefenselessness(無防備さ、無防衛さ)のなかに飛び込んでいける感じがした。

なんか幸せな未知に開かれていく感じがしていいな〜と感じた。

(未知と幸せな感覚が結びついてると感じたのは、もしかして初めて?と思った。わからんけど。)


そして(逆に?)、
「私の防衛が隠していたもの」が本当の安心をくれるからこそ
(未知なのでよく知らない、わからないものだけど、なんだかそういうふうに感じられる)、
防衛を手放して無防備、無防衛になっても大丈夫なんだ、なることができるんだ、というような感覚もあった。