逆転を感じさせてもらえた


エス
この前えばちゃんに声をかけてもらって、
インストゥルメントフォーピース(平安へのツール)と
その準備ワークをいっしょにやらせてもらいました。

そのなかで、すごく大きなものを体験させてもらえた。

 

たかちゃんのセッションから気づかせてもらえた、
幼少期に感情を凍らせることにしていたいくつかの出来事。

その中のひとつを扱わせてもらった。

準備ワークで、
「状況」
「自分にとってその人たちがどういう意味をもってるのか、自分にとってそれはどういう状況だったのか」
をていねいにみていって、

さらにその自分にとっての状況のなかで、自分のなかにどんな感情があったのか、というのもていねいに見ていって、書き出していく。

えばちゃんが質問してくれることで、
自分ひとりでは到底気づくことのできなかった文句や不満、感情を見ていくことができた。

このプロセスに、かなり時間をかけさせてもらえた。

 

そして順々にプロセスをすすめていって、
平安へのツールの7番のところをえばちゃんが読んでくれているときに、大きなことが起こったと感じた。


「私がこの世界の何かを責めたり恐れたりするとき、それは動揺とその解決方法をあるがままに(心の中の決断として)見ることを妨げるためであり、その代わりに自分が望む自己概念、他者、世界のイメージを維持するためなのです。」

この「自分が望む自己概念、他者、世界のイメージ」というところ。


今まで自分で平安へのツールをやるとき、この部分には理解をたすけるために
「自分の内側をみないようにする目的でつくりあげた(自己概念、他者、世界のイメージ)」というふうに自分で補って読んでいた。

 

でもこのとき、
えばちゃんが書かれている文章そのままを読んでくれたとき、

「自分が望んでたんだ・・!!(この自己概念、他者、世界のイメージを)」

というのが強烈に入ってきた。

 

今回扱った場面に代表される、
私の人生のなかで見ていた

「見捨てられたかわいそうな自分」
「価値のあるものと差をつけられているかわいそうな無価値な自分」
「そういうことを言動でしらしめるべく配置されたそれぞれのキャラクター」

そういうのすべてを自分が望んでいた。

投影するために。

というのが言葉や知識でなく初めて入ってきて、
これまでになく最大限「自分というキャラクター」から自分が外れた、解除されたような感覚がきた。

 

これはすごくていねいに感情の層に取り組ませてもらったおかげでしかないというのを感じた。

「心のレベルの図」で、
知覚の層の下に感情の層がある意味、みたいなのを感じさせてもらった。

感情をていねいに見ていって感じてこそ、
「その感情を正当化するという企て」のもとに
この自分というキャラも含めた世界のキャラ設定を必要として映し出して見てるということが入ってくるんだと感じた。

感情を本当にていねいに見て感じることで、
その感情からこの知覚が生じていて、
その逆(この知覚によってこういう感情になった)ではなかったんだ、
という、

あの心のレベルの図のなかでの
「方向の逆転」が生まれた。

そういうふうに感じた。

そしてこの逆転が生まれる場所っていうのは、
自分が生きていると思ってる知覚の層からでしかありえない。

じゃけえ、まずはその下の層である感情をしっかり見ていくことでしか
逆転を生むことはできんのんじゃな。

 


一番外側の知覚の層では、

『「自分の決断と信念によって感じている感情・動揺を、外側の◯◯のせいだと見る」
ことによって、自分の決断から目をそらす』

という企てのもとに、こういう自分も含めたキャラ設定を必要として見ている。


「感情・動揺を正当化するという企てのもと」「その企てという目的のため」に見てるものでしかない。
この自分だと思ってるキャラクターも。
もともとアプリオリに存在している、実在してるものじゃない。
まったくそうではない。


そう見えたとき、
ああ、この「感情・動揺を正当化するという企て」のために見とるだけの自分というキャラクターと世界設定のなかで、
そのキャラの人生をなんとかコントロールしていってそいつを幸せな人にしていくなんてまったく意味ないやんけ!
というのが入ってきた。


この、今まで自分だと思ってきた人間と、「わたし」が外れるという感覚は、
とてもいいように感じた。ひろがりを感じた。

自然に本当にありがたいという気持ちがわいてきた。

時間をとって、ここまでていねいに感情を感じさせてもらえたこと、
それによってこの「逆転」を実感させてもらえたこと。

ありがとうございます。

この感覚を、もっともっと当たり前のものとして受け入れていきたい。

そのためには、自分のなかにある感情をていねいにていねいに感じていく必要があるんだろうと感じる。

それを自分にできる限り最大限やっていきたいと思います。

どうかそのようにあれますように。