歓迎します。

 イエスさん、

朝、どういうわけか最近の何日かで感じている

「もう俺に理解したり、できることは何もないわー。。」

みたいな行き詰まり感から、

何か本当のたすけとなるものにたすけを求めるしかない!求めたい!そっちに最大限意欲を捧げたい!わしが自分でやるんじゃムリ!

というふうになって、その声をブログに書いた。

(短かったのでスマホで投稿した)

 

そのあとインスタを見てるとき、タイムラインにコース関連の投稿が流れてきて(個人名義じゃないやつで、何となく昔フォローしたやつ)

ふと、そのアカウントが誰をフォローしているんかを見てみた。

そしたらリビングミラクルズ関連の人たちがでてきた。

今までなんとなくインスタではあまりそういう人たちをフォローする気になれなかったのだけど、今はなんかそうじゃない感じがして、DavidとかNedaとかニコラスとかジェニーとか、そこに名前が出てきた人たちをフォローした。

そのなかにPeterのアカウントがあって見に行ってみると、こんな写真が投稿されていた。

 

 

この写真をしばらく見てるとき、ふと、

「自分がこの場所にいたらどんな感じだろう?何を感じるだろう?」

という問いかけ、イメージがやってきた。

 

想像してみた。

怖い。

なにか言い訳しないといけないような感じがでてくる。

自分の存在を言い訳しないといけないような。

吐き気。

なにか不要なものを自分の内側につかんでいる感じ。

ここにいる人たちはみんな「それは不要だよ。持ち続けなくていいんだよ」と知っている何か。

それにしがみつくことを自分が選んでいる、それについて何か言い訳をしないといけないような、そんな恐れがでてくる。

 

そういうのを感じながら、

なんかこのイメージ(自分がこの場にいたら何を感じるか?想像してみる)は、今の自分にとってすごく助けになる・・と感じられてきた。

 

そういうふうにして、本当は不要なのに「それにしがみつくと決めている」もの、そういうのを内側に抱え持ってるんだということに、ありありと気づかせてもらえるような。


今の「自分の」人生だと思ってる日常のなかだと、そういうのを抱え持ってること、しがみついているという事実をうやむやにして、当たり前のようにして過ごしている。

そういう流れのなかで、恐ろしい世界を知覚して、

「ほら、こんなに外側に脅威があるよ!」

と言い張ってたんだ。。。

そういうことをやって、そういう見方に「しがみつくと決めてそうしてきたんだ」と、

このイメージのなかで上がってくる吐き気によって気がつかせてもらえるような感じがした。

 

(「平安へのツール」(インストゥルメントフォーピース)の11のところの

「罪悪感や、結果に対する恐れがありえるように見えたのは、過去や未来に原因があるという信念にすがりつくと決めたからでした」

というのを思い出して、

「まさに自分ですがりつくと決めとるやんけ!これに!」

というのを感じていた。)

 

そのあと仕事にいくあいだも、
この

「この人たちのなかに自分がいたとしたら何を感じるだろう?この人たちのなかで、どういうふうにあることができるんだろう?」

というイメージを心にもっていると、自分が毎日目にしている同じ風景でも、焦点がぜんぜん違ってくるのを感じた。

自分が自分の見方にしがみついて焦点をあてようとしてきたものと、

彼らが焦点をあてているものの違いのような。

 

最初上がってきた吐き気のようなものが通り過ぎていって、

自分が「しがみつくと決断して」もちつづけていたものを

このイメージの中でおそるおそるあきらめて手放すようにしてみると、

彼らの心、彼らが焦点をあてているものが心のなかに入ってくるような感覚だった。

 

 そのあと、フォローしたばかりのNedaから、ボイスメッセージが来ていた。

 「歓迎します」って。

 

 ああ、自分がそこに飛び込みさえすれば、そこで何が上がってきても大丈夫でゆるすことができて歓迎されとるんやと教えようとしてくれとるんかな、聖霊は。

受け取りたい、受け入れたいです。

本当のことだけを受け入れたいです。

エス、ありがとうございます。

 

 

(Nedaのインスタのプロフィールに

「Nice to dream you!」とあったのが心に残った。

Nice to meet you じゃなくて。

あなたを夢見れてうれしいです、みたいなんかな。)