悲痛の「悲」

この前兄妹と平安へのツールの準備ワークをしたとき、
「感じている感情のさらにどんな感情がある?(純粋な感情として)」のこたえとして
『悲痛の「悲」』というのがあると兄妹が言ってくれた。

悲痛だとまだ人間的な、感じられるもののように感じるけど、
それよりももっと、何か削ぎ落とされたような「悲」そのものな感じ。

この言葉を聞いて、自分にとっても本当に同じだなと感じている。

その「悲」を現実だと信じていて、
その前提でこの世界を見て、
「悲」から派生する悲痛を経験して当然だと信じてる。

エスは、そんな必要はないんだよ、と言ってくれているように感じる。

この世界にいるように見えながらにして、
そんなことを経験しないでいることも完全に可能なんだよ、
と教えてくれているように感じる。

自分が奥の奥で感じてる「悲」と
その「悲」の前提を信じてるんだということを自分にあらわにしながら、
それを信じるしかできない自分のなかにイエスを迎え入れたい。
エスの見方を教えてほしい。