ガイダンスは愛
ここ何回かの勉強会や、5月のギャザリングが本当にたすけになっていて、
ガイダンスやファンクションとは何なのか、教えてもらえてきているように感じています。
それについての今のメモ。
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今何を感じているか?
完全な愛以外の何を感じていたとしても完全にOKで、それに気づいて、
「自分のなかのどこかのレベルでは、この愛ではない感覚を自分自身が必要として求めていて、これを経験している」ことを思い出す。
究極的には、自分の望み・欲求の結果としてこれを経験している。
神の子である「わたし」は、絶対に被害者ではありえない。
そしてこの「愛ではない経験」には愛からのたすけが今この瞬間に与えられている。
それがガイダンス(ファンクション)。
ガイダンスが愛。
恐れを癒やすのは愛。
それがどういうことなのか、どうやってここから救い出されるのかは、
この狂った知覚のなかにいる私の尺度では測れない、わからない。
それでも、わからなくても、そのガイダンスにしたがっているうちに、
どういうわけか、いつのまにか
以前はあった恐れが消えていることに気づいたりする。
恐れは愛(=ガイダンス・ファンクション)によって癒やされる。
そのように導かれている。
ガイダンスは
それに正しく従わないと罰されたり失敗者の烙印を押されたりするようなテストみたいなものではない。
ガイダンスは、神の子を幻想(狂った知覚)から救い出すために毎瞬注がれている愛そのもの。