おぞましいもの
今日の勉強会のももこさんのシェア。
非常にたすけになった。
けもの以下の、理性・知性を失ったばけもの的、コミュニケーション不能の気色悪い存在としての
Kさんと自分がかなさった。
そのように感じられたことは恩寵のようにかんじた。
けんたが周りの人にむけている肉体存在としてのジャッジ(美醜とか老いとか)とあわせて、けんた自身にはこのようなジャッジ、気色悪さをみているんだときづかせてもらえた。
自分自身についていちばんおぞましいと感じていること(今の時点で感じられる限りではあるけど)、
それに触れさせてもらえたことに、地の底に足がついたようなほっとしたものが感じられる。
自分自身におぞましさを感じてることを受け入れることで、ゆるしへの第一歩を踏み出させてもらえると感じる。
ももこさんのシェアを通じて感じさせてもらえたもの、こういうかたちでも、マイティコンパニオンに恩恵を与えられてるんだ・・・というように感じた。
ありがとうございます🙏🙏🙏
するとなんか感じられてきたこと。
人とコミュニケーションとったりするときに自覚しとる「わたし」って
本当にかりそめのものなんだなということ。
だれかとコミュニケーションとるときにわたしだと思ってるわたしって、
そのときに精一杯「わたし」についてのデータをかき集めた上でつくられたかりそめの「わたし」なんだというかんじがしてきた。
そのかりそめの下にこういうおぞましさの感覚が隠されているわけで。
このかりそめのわたしは持続しない。
その都度その都度データをあつめてそれっぽくつくられる。
ワードプレスみたいに。
便宜上、その都度形作られてそれっぽく見せられてるだけで、実体がないもののように感じられてきた。