静岡〜石川〜新潟の旅③【何のためにここにいるのか?】


エクスプレッションセッションの撮影が終わった後、
撮影のかたづけをしてから、一息つける時間になった。

のりこさんたちは何か買い物に行くとのことだったけど、
自分はどういうわけかとても眠たくなり、
しばらく眠ることになった。



目を覚ますとみんなが帰ってきていて、
食事をとりはじめるところだった。

自分も起き出していって、前日の残り飯をいただくことにした。

席があればダイニングテーブルに座ろうと思たけど、
そこのダイニングテーブルは4人がけでもう座る席がなかったので、
隣のリビングルームに食事をもっていって食べ始めた。

そうしているうちに、ダイニングにいる4人で明日以降の予定についてのミーティングが始まったのが聞こえてきた。

 

そのときの自分のなかに上がってきた思考:

 

「前日、無価値感で動けなかったときですら、ミーティングの輪に加えてもらえていたのに、今のこれはいったい何が起こってるんだ!!????俺は除外されているのか!!???」

 

自分だけ除外されている、という被害者意識にもっていこうとする思考がどんどん上がってくるのに気がついた。

 


多分以前だったらその被害者意識に飲み込まれていたと思うような状況と思考だった。

 

 

ただこのときは、あの祈りに触れられたことからくる深い力のようなものが感じられていたのだと思う。

自分を被害者にしようとする思考は次々に上がってくるけど、
被害者意識に飲み込まれる前に、ある質問と答えが浮かんできた。

 


「自分は何のためにここにいるのか?」


「他のみんなに、メンバーの一員のように扱ってもらうため、ではない」

「他のみんなに、仲間だと感じさせてもらうため、ではない」

 

 

そうではなく、

「愛の自覚を阻んでいる障壁が浮かび上がって解放されていくためにここにいる」

「自分のなかに何が上がってこようとも、その自分のこころぜんぶまるとごそのままを、
全体である【わたしというひとつのこころ】にとって真のたすけとなるよう
使ってもらうためだけにここにいる」

 


自分のなかに湧いてきたこの質問と答えが、アンカーのように自分を中心につなぎとめてくれたように感じる。


そして今自分が知覚していること(明日以降の予定のミーティングについて除外されているように見えること)も、さまざまな理由により『十分起こり得ることなんだ』と受け入れることができ始めた。


こうして、他の4人のミーティングが終わり
次のファンクションにみんなで移ろうとなったとき、
被害者意識をもつことなく、
自然にそのファンクションに参加させてもらうことができた。


このことは、
あの祈りに触れさせてもらえたことの意味と力について、
より深く納得させてもらえるための機会だったように感じる。