のりこさんたちが

「ホテル探しにマインドエナジーを使わなくてもすむように」

ということで、
必要なホテル探しのファンクションを与えられた。

 

自分でも調べてリストアップし、
自分だけではやらないほうがいい感じがして
みんなにも手伝ってもらい、
最終的にいくつかに絞ってのりこさんに伝えることになった。

 そして、

「できる限りわかりやすく、予約するホテルを選ぶのに負担のないように」

というのを考えてやったつもりが、

『実はリストアップしていたのに最終的に自分のなかで却下して伝えなかったペンション』

を、のりこさんが自ら探して予約する、

という結果になった。

 

 

この結果を知ったとき、

まず上がってきたのは「やってしまった・・」というやつ。


ちゃんと伝えていれば不要だったよけいな時間とエネルギーをのりこさんに使わせてしまった、

何の役にも立てなかった、という失敗感。



そして、
「いや、リストアップはしてたんですよ!」

と言い訳のようなことをしたい思考も上がってきた。

「役立たずの自分」というイメージをなんとか修正したい、という衝動。



そのときに、

「これこれこういうプロセスが自分の心のなかであって、
自分なりに聖霊に聞いたつもりもあったのですが、
最終的にペンションを却下してしまっていました。
よけいなマインドエナジーを使わせてしまいすみませんでした。」

というようなメッセージを送る思考も出てきたけど、

これはなんというか、
人間としてのやりとりを利用して
肝心なところを見えなくするような感じがして、
やめた。



それよりも、

この機会をとおして浮上してきた
自分のなかの無価値感や罪悪感といった「闇」をとことん浮上させ、
聖霊にささげきること、

それが「わたしというひとつのこころ」の解放のためには一番だ、

けんたの立場を守ろうとするのはまったくいらんことじゃ、

という感じがして、

そうしたいと思った。

 

 

 

その後もなんともいえない気持ち悪さがあって、
平安へのツールと準備ワークを久々にやってみることになった。

 

準備ワークで感情について見ていくと、

まず最初は、

「無価値感」
「罪悪感」
「絶望感」
「目を背けたい感じ」
「自分が維持できない感じ」

というのがあって、

さらにその奥は?というのを見ていくと、


「安全ではない感覚」
「孤絶感」


そしてそこからの
「冷たく固まった感覚」

というのが出てきた。

 

 

この「安全ではない感覚」は、
今までになく、
リアルに、
純粋な「安全ではない感覚」として感じられる部分があった。


そしてそれに付随した孤絶感、

そこからの
「冷たく固まった、凝固してしまった感覚」。


 

これらの「抽象的な感覚そのもの」が
自分だと思いこんでいて、

その抽象的な感覚から、
この具体的なけんたとけんたが知覚している具体的な世界を映し出している・・

という感覚が、
これまでになくリアルなものとして感じられてきた。

 


「安全ではない」

という抽象的な感覚がまずあって、

それを埋めるために、

この具体的な世界で、
具体的なけんたという人間を使って、

何か安全を保証してくれそうな正しさ、まわりからの評価、評価者からの評価みたいなものを勝ち取らんといけん。

そういうふうにしてけんたの世界が出来上がっとるように感じた。

 


(この「安全ではない」という根源的な抽象的感覚は
本当のことなんだろうか??

これを感じ続けたくはない。)

 

 


そのあと平安へのツールをやってみて、

「D:信念」としては

 

「私は安全が保証されていない、まわりから分離して見捨てられた、よるべのないショック状態にある存在だ。」

 

という言葉になった。

 

ショック状態で冷たく固まっている。

 

自分のなかがこんなに冷たく固まってしまっていたのか、というのも
初めて感じるかのように感じられた。


何か、これまでのけんたが知覚してきた人生を
説明してくれる感覚のようにも感じられた。

 

 


今回のこれ、
ちょっとしたファンクションがきっかけのように見えるけど、

自分にとっては非常に大きな気づきと癒やしの機会を与えられたように感じられる。

 

 

そして今日、
外に出て歩き始めたとき、

一つ前のブログ記事で書いた、

この人生の終わらない問題だった
「胸・喉の奥の圧迫感からくる身体のゆがみ(極度の猫背)」が

記憶にないくらいのレベルで解消されているのを感じた。

 

何が起こっているのかわからないし、
喉の奥のかたまりはまだまだあるし、
この解消された感じが続くかどうかもわからないけど、

たしかに救いとか奇跡というのが

心を向けるべき場所にしっかり向けられたとき、
わかるようにして与えられる・・

ということを教えてもらえているように感じています。


ありがとうございます。