この前のミーティングで感じたれいさんへの嫌悪感をきっかけに平安へのツールと準備ワークをやってみて浮かび上がってきたこと。

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愛をお前が拒否ってるんやと指摘されるのが怖い。

愛はふんだんに与えられとるのに、お前が自分で拒否っとって、

被害者の位置に自分を置いて、

その前提であれやこれやとやりながら、

「私は愛を与えられていない被害者」という土台の上に「お前」という自己概念を維持しつづけとるんやと

指摘されるのが怖い。



本当は愛がふんだんに与えられとったのに、勝手に自分で拒んどったんじゃと教えられるのが怖い。


今までこれが自分だと思って生きてきた自己概念が無になりそうで怖い。



 

自分が愛を拒否ってて、そう認識することを恐れてるんやというこの気づきはたすけになると感じる。

愛を受け入れるために通らないといけない気づきのように感じる。


そっちの方に明るい何かが感じられる🙏🙏🙏

 



今日は駅前でマルシェのようなイベントが開かれていて、

たくさんの人たちが幸せそうだった。