ありがとう。
今日のミーティングでのりこさん、ラファエル、みんながしてくれた話、とてもありがたかった。
どれも言葉としては聞いてきたことかもしれないけど、
どういうわけか、今日、とても心に入ってきた。
①「これはまったくあてにならない声だ」
「気を散らす」ということについてえばちゃんがシェアしてくれて、
自分のなかにある「気を散らす俺へのジャッジ」がはげしいことが思いおこされた。
気を散らす俺には価値がないと深く信じていて、
それを前提に生きている。
だから、気を散らしてはそんな俺を無価値だとジャッジする、、
というのを繰り返しながら、
でもそのことには気づかないように、無意識にしておく、、
というのをずっと続けていたんだな、と気づかせてもらった。
そして、
そういう「お前は無価値だ」という声に気づいたとき、どうするか。
「これはまったくあてにならない声だ」と、
ちゃんと言い渡すこと。
それをぜんぜんやってなかったんだな、と気づかせてもらえた。
全部無意識下に展開させることで、
「こんな俺は無価値だ」ということについて「無言の肯定」をしてたんだ。
「これはまったくあてにならない声だ」とちゃんと言い渡すこと。
それが、とてつもなくありがたい、
私の前に差し出された新しい選択肢のように感じられてきた。
そして最後のほうでのりこさんが言った言葉。
「自分自身をゆるすこと。すべてはそれに始まり、それに終わる。
どんなに聖霊が愛を差し出してくれても、自分が自分をゆるしてなかったら、受け取らないんだから。」
このことともつながって、本当に自分自身をゆるしていきたい、
「お前は無価値だ」という声に、「これはまったくあてにならない声だ」と、
ちゃんと意識して言い渡していきたい、
と思えた。
そのように、初めてつよく実感できた。
なぜなら、そのように言い渡したとき、
たしかにこころが開かれていく感じがして、
どんなにだめだめな人間のように自分が見えていても、
それでもぜんぜん問題は存在しないんだ、というこころの輝きが感じられてくるから。
だからそうしていきたい、とつよく思えるのがめっちゃありがたい。
「お前は無価値だ」と無意識下でずっと言い続けている声に、
「この声はまったく当てにならない声だ」と言い渡しながら、
こころが安心して開かれていく感覚をもちながらのいつもの帰り道。
電車にのりあわせた人たちやそば屋でそば食っている人たちが、
いままで体験したことのないほど近くに、壁がないものとして感じられた。
ありがたかった。
みんな大丈夫なんだ。
②マインドをフルにファンクションに与える
マインドをフルに与えるからこそ、自己概念のなかの限界にぶち当たり、それを超えていける。
肉体としての私という同一化も超えていける、、という話。
この話も言葉ではなんども聞いてきたかもしれないけど、
初めて聞く内容かのように心に入ってきた。
初めて、本当にそうなるのかもしれない、、という可能性が感じられたような。
ぜひとも私のマインドをフルにファンクションに与えたい、と、
初めてここまでの具体的な実感をともなって思えた。
そうやって限界を超えていきたい。ぜひとも。
③followして、そのあと初めてunderstandが起こる
②ともつながるかもだけど、、
マインドをフルに与えて、ガイダンスを受け取って、従う。
そうやって実際にfollowしてみて、初めて理解というものは訪れるんだよ、という話。
この話を聞いたとき、なぜか強いインパクトがあって、なんでだろうと心を見てたら、
そこまでの覚悟をもって「ガインダンスに従う」(follow)ことをしてこなかったんだ、と感じた。
followして、初めて理解が訪れる。
その理解というのは、言ってみたら聖霊の見方についての理解みたいなもので、
自分が今までこれが正しいと思ってきた「俺の理解」「俺の見方」が本当ではなかったんだ、と受け入れざるをえないことになる。
自分自身の見方を手放さざるを得なくなる。
そういうことなんだ、、、
従うとは、そういう覚悟が必要なことなんだ、、、
そういう「覚悟」なしに、従おう(従うつもり)みたいなことをやってたんだな、、、と感じた。
自分自身の世界の捉え方が手放される。
そういう覚悟をもって、followしていきたい。
ーーーーーーーーーーーーーー
今日のミーティングに入ったときに感じた自分の感覚についても書いておくと、
やっぱりぷろおごさんの
「安く救われるな。ちゃんと絶望しろ」
がとても内側で響いてたんだな、と感じた。
welcomejwithintention.hatenablog.com
とてもたすけになっている。
この場をつくろって、安く救われてる場合じゃねえ。
そして、当てにならない声には「これは当てにならない声だ」とちゃんと言い渡す。
そして、私のマインドをフルにファンクション( or ガイダンス)に与える。
そして、自分の見え方が変わる(手放す)覚悟をもって、followする。
🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏