消え去りますように。
全員を外見でジャッジして勝ちたい。
それによってエバにも勝ちたいし、勝っとるつもりでおった。
でも負けとった。(それを認めたくない、受け入れたくない)
いちばんつながりを感じれないオレ。
真のつながりみたいなのをエバを始めみんなは感じれても、
オレは感じれない。
全員を外見でジャッジして勝とうとしとるだけやから。
一番進捗が遅れとるんじゃないか。
今日の勉強会でも、
「エバがリトリート参加者のなかでいちばん腹がすわっとった」と。
そのときは負けて悔しい、が上がってきた。
オレはあんだけマインドをフルに与えるとか言っときながら、
それでも負けとるんか。
(でも一瞬、
こういう「今のオレできとる」みたいな、
よくありがちな自分の中の声を、
もう信じんでもええんか、、それは信じるに値せんやつなんか、、
というちょっとホッとした感じも感じた。
それは五井先生の祈りに絶えず浸されてるおかげのように感じた。
「できとるオレ」でおらんといけん、みたいなイメージを頼りにせんでもええんじゃ、みたいな。)
「マインドをフルに与える」とかも、オレの獲得物にしとった。
絶えず五井先生に祈れるようになったオレ、も。
五井先生の祈りを祈るときに感じる力さえも「オレのもの」みたいにとらえようとしとる。
がんじがらめにして圧縮した抑圧した、毛糸玉自己概念。
それをほどこうとしていく過程でも、
そのプロセスの進行を止めるために、
随所でいろんなオレ概念をつかむ。
五井先生の講話を聞いとったら、
「消えてゆく姿じゃ言うて祈ってても、自分が間違っとることを認めて、消えていくことを望まんと消えてはいかんよ」
みたいなことを言っとった。
オレはそれを望んどるんじゃろうか。
リトリートも、
「全員を外見とか進み具合とかでジャッジして勝たんといけんオレ(勝っとるつもりのオレ)」、
そういう自己概念をもってそれを維持しようとしたまま完走したんだな。
自己概念を維持しようとしてうわついとった。
たしかに全然腹はすわっとらんかったんじゃな、と今は感じる。
たしかにエバのほうが全然腹がすわっとった。
しかもリトリートが終わったあとになってまで、それを暴きに来てくれたし。
なんというか、
これまでの真我なるハートでの自分の立場についての概念みたいなもの
(わりとよくできてるヤツ・・とか)、
のりこさんからの扱い
(わりといつも好意的にとらえてもらえると感じる)
みたいなものは、
これまでオレがここまで歩めるように助けになるものだったから
そういう幻想をみせてもらったってだけで、
ここからは先はそういうのはもう終わりなんじゃという感じがする。
なにしろ、
全員を外見でジャッジしとって繋がりを感じれんような状態のヤツなんじゃけ。
そこから始めるしかない。
リトリートが終わって教えられたのは、
自分がこれまで1mmたりとも前に進んでなかったこと、だった。
(ある程度前に進んだと思っとったから、気持ち的には後退した気分)
こんな現状で、
たとえいちいち自己概念つかむとしても(五井先生すら横領しようとしながら)、
盲目的に祈るしやることがない。
今日の勉強会でのりこさんが最後に言っとったこと。
「幻想を超えたところをみせてあげたい」(みたいなこと)。
オレはこの幻想(全員を外見や進捗でジャッジして勝たんといけん孤独な分離した世界)を超える気があるんじゃろうか。
祈りのなかに消え去りたいというのはある。
五井先生の講話を聞いとったら、
「世界人類が平和でありますように」という言葉は、
全員がひとつであり、その完全な幸せを願っとる「神さまの思い」だけに同調するために
そういう言葉になっとるんじゃ、みたいなことを言っとった。
そのなかに消え去りたいというのはある。
「神さまの思い」ではないものすべてが浮上して、
消え去りますように。
そのために、
この幻想(全員を外見や進捗でジャッジして勝たんといけん孤独な分離した世界)を見とる奥で、何を感じ、何を信じとるんか。
それも浮上しますように。
ありがとうございます。