目的

夜ご飯を食べに行く道すがら、ラファエルはたびたび立ち止まって耳を傾ける。食べに行くのも、食べるのが目的ではない。この肉体に食べ物を与えるのが目的ではない。
真の目的がいちばんたいせつ。そのためにスピリットに耳を傾けるんだと。

それを聞いて歩きながら、「自分のもっとも深い目的、深い欲望について、自分では確信がない。だから教えて下さい、思い出させてください」と祈っていた。

そのあと飯を食いながらラファエルがしてくれた話。

3年前、本が読めなくなったときに、イエスにコースの真髄を教えてほしいと祈って祈って示された、コースの一節。

“Forgiveness is the healing of the perception of separation.”

すべてはこれだと。
わたしのファンクションはこれだけだと。
このファンクションだけやってれば、あとのことは本当にすべて面倒を見てもらえると。

このシンプルさ。

そしてどうすればこれができるか?

それは目の前の兄弟姉妹がいったい誰なのか、誰が自分の兄弟姉妹なのか、スピリットに教えてもらうこと。

Who are my sisters and brothers?? Tell me,tell me,tell me.

これだけだと。

彼のなかに、あなたは自分を見失い、彼のなかに、あなたは自分を発見する。

これに関しても、本当に自分でできることはなにもない。
自分の中には、だれが兄弟姉妹なのかについての知識は失われているから。
教えてもらうしか、示してもらうしか、本当に道がない。

そして誰か一人でも攻撃の対象やゆるせない人がいる状態だと、強烈な恐れなしに神の前にたつことはできない。


・・以上のようなことをその場で実践してみたとき、瞬間的に、はかりしれない喜びを感じた。

自分にここまでゆるしていいの!??というくらいのはかりしれない喜び。

一瞬だけど、まちがいなく最高の何かがそこにあるのだと示してもらえた。

そして、このはかりしれない喜びは、ユタでいわれたメッセージ「あなたは求めなさすぎる」の具体例として、ここまでのよろこびを求めていいんだよ、という例として示されたと感じた。

ラファエルはこの3年間、この「ファンクション」、このシンプルさに身を捧げてきた。

その3年間に本当に頭を下げたいという思いと感謝が湧いてきた。

このシンプルさを生きてくれて、教えてくれて、ありがとう。

そしてこのシンプルさとそこからのはかりしれない喜びから、
その前に歩きながら祈っていた「わたしの最も深い欲望を教えて下さい」の答えをもらったのだと感じた。