目覚める

エティのように、
外にも内にも罪も憎悪も完全に不可能であり得ないんだと認識したい。

それを「目覚める」というのか。。

今まで目覚めるという言葉にピンと来てなかったし、
人が「目覚めたい」とか言うのを聞いても、自分のなかにそんな欲求があるとは感じられなかった。

昨日の勉強会のなかで、
その理由は
「罪や憎悪が可能な世界」だけが存在してることにしようとしていて、
「罪や憎悪が【不可能】な世界」はない、ということにしていて、
だからそんな世界に「目覚める」という概念も視界に入らないようにしていたから、のように感じた。

罪や憎悪が可能な世界の方が間違いで、
そうじゃない世界に「目覚める」ことができる。

外にも内にも罪も憎悪も完全に不可能であり得ないという認識が「目覚める」ということなら、本当に目覚めたいと心から思える。


昨日の勉強会で、のりこさんが
過去に何度もけんたがその真の欲求にふれたのをみてきたよ、と言ってくれた。

たとえば
最初の三崎口でのラファエルとのインタビューのとき。
カースティン・フランセスリトリートが終わってカースティンにハグされたとき。

そのとき、自分ではなんで涙が流れてくるのかわからなかった。

自分の真の欲求に触れているんだとありありと感じられていなかった。

でも今回、今の世界の状況にたいする知覚と、エティについて触れることができたこと、そして昨日の勉強会でのりこさんに話してもらえたことのおかげで

「目覚めたい」
「罪も憎悪も完全に不可能なんだと認識したい」
「エティのような心の状態を受け入れたい」

ということを、
最優先事項として初めて設定できそうな感じがしてきた。

罪や憎悪が可能だと信じている今の心の状態から、目覚めたい。

それを最優先にする。

その設定をした上でだと、
ガイダンスなんかも何か違ったふうなものとして感じられてくる。

今までは目的が自分のなかではっきりしていないなかで、
闇雲に?聞いたほうがどうやらいいらしいから?
そんなあいまいな状態でガイダンスを尋ねようとしていたように感じられてきた。

もし自分にとっての最優先事項がはっきりしていて、
すべての目的がはっきりした上でなら、
そのためのガイダンスなんだ、、、と、何か一本芯がとおるような、輪郭がはっきりしてくるような感じがする。


私は目覚めたい。

内にも外にも、罪も憎悪も不可能なんだと知りたい。

それを何よりも望む。