アイノウマインド

この前あきなさんの勉強会のなかで話されていたことを聞いていたとき、

アイノウマインドはいろんなレベルにあるんだな、と教えてもらえたような感じがした。


この世界の具体的な内容について「これ知っとる、俺は知っとる」っていうのだけじゃなく、

自分がこころの奥の奥で感じている罪深いということも、アイノウマインドのひとつなんやな、というのが感じられてきた。


神をいちばんにする、という声明のもと、

あらゆるレベルのアイノウマインドを光に持っていく。

具体的なレベルから、根源的レベルまで、全部。

具体的なレベルをぼやかさないのは特に大事なような感じがする。


そうやってみえてくる自己憎悪。愛の欠如の感覚。

そういうのもできる限り光に持っていく。

 

今日が最後の日だとして、

この自己憎悪とそこからの投影をそのままにしといていいのか??

そのままダラダラとこれが、こういう日常が続くことを肯定してていいのか??


エスによる見方という視線視点が本当にあるのなら、

本当にそれを教えてほしい。

 

アイノウマインド。

エスより俺の方がこれについてよう知っとる、ってやりよるんよな。

俺には罪があって欠如しとるけえ、これをゲットして埋めんといけんとか、そういうのも含めて。

この見方についてイエスより俺の方がよう知っとって正しいってやっとる。


そういうのをぜんぶ光のもとへ運んでいきたい。

神をいちばんにするという目的のもと。